『進撃の巨人』ラストシーンに込められた作り手の思い 現実社会とリンクするテーマを考察

 諫山創の同名漫画作品をTVアニメ化した『進撃の巨人』は、いまや世界で多くのファンに愛されている、ビッグタイトルである。そんな、およそ10年の期間にわたって不定期に放送されたアニメシリーズも、ついに2023年に完結を迎えた。そのラストを飾った「完結編」の前編、後編の総集編である『劇場版「進撃の巨人」完結編THE LAST ATTACK』が現在、期間限定公開中だ。

 世界規模での人気の理由は、緻密に構築された世界観と設定、登場人物たちに降りかかる残酷な展開、そして、現代のさまざまな地域に共通する重要なテーマが描かれている部分などだろう。とくに、「完結編」が放送、配信されていた時期は、いまも続くロシアによるウクライナ侵攻、そしてイスラエル軍によるパレスチナのガザ地区攻撃と重なっていたことで、当時から現実に起こっている状況と内容の類似性が、世界中で指摘されていた。

 とくにガザ地区の若者の間では、壁の中で巨人の脅威に抵抗し、生き延びようとする人々の戦いが描かれていた『進撃の巨人』が、自分たちの境遇に重ね合わせることができるとして、かねてより人気を集めていたのだという。(※)

 ここでは、本作『劇場版「進撃の巨人」完結編THE LAST ATTACK』が上映されている節目のタイミングで、再びシリーズのラストの内容を振り返り、いまの世界において最も重要と言っても過言ではない、『進撃の巨人』におけるテーマと、そこに描かれた、現実の悲劇にも繋がる争いや虐殺の元凶とは何なのかを考えていきたい。

※本記事では、『進撃の巨人』の重要な展開やラストについての記述があります。

 人間を食い殺す巨人の脅威を、巨大な壁で隔てている街……そこで暮らしていた少年エレン・イェーガーと、幼なじみのミカサ、アルミン。そして彼らが所属することとなった、壁外にて巨人の脅威に最前線で向き合う「調査兵団」の若者たち。人類の生存かけた彼らの戦いや、次第に解かれていく世界の謎が描かれていくのが、『進撃の巨人』のおおまかな物語だ。

 戦いの中で調査兵団は、数々の犠牲を出しつつも、エレンやアルミンなど、巨人の力を受け継いだ者たちの力を得て、人々の生存への道を切り拓いていく。そして生き残った者たちは、壁の外に広がる世界と対峙することで、自分たち「エルディア人」の過去と巨人との関係を含めた、血塗られた歴史と世界の現状を、衝撃とともに知るのである。

 さらには、「進撃の巨人」の力を継承したことによって、過去の継承者の記憶までをも受け継いだエレンは、人類にとって悲観的な未来の選択を、前もって垣間見てしまうのだった。それは、自分たちが生まれ育った故郷パラディ島に対する各国の敵意に対抗するため、自身がおびただしい数の巨人を率い、大地の全てを踏み潰していく「地鳴らし」を発動するというもの。その規模は凄まじく、パラディ島以外の人間たちを次々と“駆逐”していく。まさに有史以来、前代未聞といえる凄惨な殺戮だ。

 本作では、ついに現実のものとなった「地鳴らし」が開始され、世界に向けて進撃を続けるエレンと、その大規模な殺戮を止めようとする、ミカサ、アルミン、そしてリヴァイ、ハンジ、ライナー、ジャン、コニーなど有志の激しい戦いが展開し、その結末と直後の世界の状況までが描かれていく。

 もともとアニメシリーズは、対巨人との「立体機動装置」を利用した、スピーディーかつスケールの大きなバトルシーンが話題を呼び、原作の要素とアニメーション表現との相性の良さが指摘されていた。本作での熾烈を極めた戦闘描写は、これまでのシリーズと比べても最大のスペクタクルといえ、アクションの点でも、まさに集大成だと感じられるものとなっている。これまでも総集編としてTVシリーズの劇場版は公開されてきたが、それも今回が最後である。

 しかし本作を鑑賞しながら、何よりも賞賛したくなるのは、まず原作者・諫山創の視点だ。漫画作品はこれまで、多くの“戦い”を描いてきたが、“なぜ戦うのか”、“なぜ戦いが起こるのか”という理由を、ここまで突きつめて表現しようとした作品は稀有であり、その圧倒的な独自性は、漫画やアニメなどの枠を超え、より多くの人に届く普遍性を獲得するまでに至っている。

 『進撃の巨人』は、一応「少年漫画」のジャンルに当てはまるようである。そして少年漫画の多くには、「バトル」がつきものだ。しかし、その種のほとんどの作品は、体術や作戦、必殺技など、バトルの中身の方が重要なものとして表現されがちだ。その反面、バトルが「暴力」として表現されたり、それが起こる理由や結果について深掘りすれば当然行き着くネガティブな要素に迫ろうとする作品は比較的少ない。なぜなら、多くの読者はそこに興味を示さないと考えられているからだ。

 主人公が戦い続ける動機は、“自分が強くなるため”だったり、“家族や仲間を助けるため”であることが多い。『進撃の巨人』も当初の展開においては、そういった方向性を進むのだと思わせていた。だが、本作までにさまざまに明かされていった作中の事実は、そういった「正義」といえるような努力が、じつは、より多くの悲劇を生むものであったことを示していたのである。

 戦えば戦うほど、そして命を救おうとするほど、より多くの被害者が生まれてしまうという皮肉な構図は、まさに前向きに“進撃”し続けてきた少年漫画の価値観を、一部否定するような、ある種前衛的ともいえる試みだといえるだろう。とくにそのクライマックスに位置する本作は、そんなひたすらな“進撃”を食い止めることが目的となっている。

 少年漫画のバトルにおける敵は、外部から平穏な日常を破ろうとする侵略者であったり、テロ行為をおこなう者たちだったりする場合も少なくない。とくに人気アニメとなった作品の劇場版のオリジナルストーリーでは、そのような敵を新たに設定し、最後には主人公たちのグループに撃退されるというのが、定番の流れだといえる。

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