『愛にイナズマ』松岡茉優に訪れる2度の“敗北” 石井裕也のユニークで力強い構成に拍手

 2023年10月に公開され、好評を博した石井裕也監督『愛にイナズマ』のBlu-ray&DVDが4月3日にリリースされる。この作品は、第66回ブルーリボン賞で監督賞&助演男優賞(佐藤浩市)を受賞したほか、第45回ヨコハマ映画祭ではベストテン4位、監督賞&助演男優賞を、さらに第36回日刊スポーツ映画大賞では監督賞&主演女優賞(松岡茉優)を受賞するなど、数々の賞を獲得し、2023年日本映画を代表する1本となった。

 石井裕也監督はほぼ同時期に公開された『月』での受賞ラッシュも併せ、2023年は監督キャリア上の重要な節目となる年だったと言えるだろう。ただし、障がい者施設の問題をサスペンスフルに扱った辺見庸の原作小説の映画化『月』とは打って変わり、『愛にイナズマ』はよりまっすぐに、ごまかしなく石井裕也監督の映画への執着にも似た思い入れが流れ出た作品であると、ここで大書しておきたい。

 主人公の折村花子(松岡茉優)は商業映画デビューを目前に控えている映画作家で、ここが人生の勝負どころだと気合が入っているが、無責任で風見鶏のようなプロデューサーの原(MEGUMI)および彼女の懐刀であるチーフ助監督・荒川(三浦貴大)との関係は悪化の一途を辿る。荒川は花子の映画への思いを素人じみた未熟さとして嘲笑し、侮蔑し、さらにはセクハラ的な言動も見せ、花子はそんなストレスに苛まれていた。

 そんななか、コロナ禍で閑散とした東京の街の片隅で、正夫(窪田正孝)という青年と出会う。コミュニケーションに問題を抱えつつも正義感の強い正夫との出会いが、花子に新たな道を用意する。絶望の深まりのさなかにあって、都市の暗闇にまぎれて人と人が出会い、思いもかけぬ浄化が起きていくこの様相は、石井裕也監督の、今となっては名作にも数えられる2016年の作品『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で生まれる石橋静河と池松壮亮のカップルを思い出させる。愛とは、石井映画にあってはいつも暗闇を人知れず走る一閃の光だった。

 花子と正夫が出会う、緊急事態宣言前後の閑散とした東京のとあるショットバー。そのバーは偏屈な店主の趣味を反映した、不自然なほどに赤い照明で照らされている。花子が正夫に話しかけ、あっという間に意気投合していくみごとなこのワンシーンは、あたかも暗室の灯火のもとで現像・焼き付けされていくかのようだ。主人公の花子がこだわり、愛(め)で続けるこの赤という色彩。この赤にLightning(イナズマ)が眩しい亀裂を入れていくことによって、この『愛にイナズマ』という映画は完成していく。「Lightning」は全7章に分かれている本作の最終章のタイトルでもある。

 石井映画にあっては、光の演出が、新たに誕生しようとする愛を祝福し、絶望や孤独を浄化させてきたように思う。『舟を編む』(2013年)における松田龍平と宮﨑あおいが出会うベランダを照らす深海のような青。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』において同じ夜に3度も邂逅してしまう石橋静河と池松壮亮を照らし出したのも、夜の黒を恐ろしいほど青く照らす月光だった。今回はそれが赤に転じている。赤い光がふたりのそれまでの生きざまを暗室の燈火のごとく炙り出し、愛の誕生を現像し、焼き付け、さらにはLightningの亀裂によって、その愛はゴツゴツと不格好ながらもふてぶてしい古傷のような強さを帯び始める。

 全7章のうち、最初の2章は東京における、花子の格闘記である。この2章だけで1時間あり、花子の格闘は完膚なきまでに敗北で終わる。続く3〜7章が構成する1時間20分は、海辺の田舎町にある実家への撤退を余儀なくされた花子の敗者復活記である。いっきにこの『愛にイナズマ』という映画は転調を経験する。東京編は女性表現者のリアルな苦渋体験が描かれ、現代映画となっていた。それに対して後半の故郷編は、往年の森崎東監督作品もかくやとでも言いたくなるような、ヘンテコ家族の人情喜劇として展開する。つまりこの映画は2本分なのである。現代映画としていったん最後まで物語を語り終えたあと、主人公の敗北をもう1度最初からやり直させる。リメイクさせるのである。

 1本の映画中で、物語とその反証としてのリメイクをやってしまうという、じつにユニークな、そして力強い構成をなしている。そして後半で描かれる2度目の敗北は、決してネガティブなものではない。花子が周囲に差し向けてきたカメラアイが、被写体の放つ体温にあえなく敗北する。よろこばしい敗北。敗北から映画は始まるとでも言わんばかりに。

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