綿矢りさが語る『落下の解剖学』の絶妙なさじ加減の演出 作家として見逃せないポイント
「フィクション」と「私小説」と「現実」の境界線を一口で説明するのは難しい
――裁判というのは、もちろん死者のために行う側面もあるのでしょうが、それ以上に、生きている人たちの「未来」を決めるためのものでもありますよね。
綿矢:そうなんですよね。その結果次第では、彼女はもちろん、彼女の息子の人生も大きく変わってくるわけで。それは、自分自身あまり考えたことがありませんでした。あとはやはり、夫婦喧嘩の音声を裁判所で流すシーンか壮絶に気まずくて良いですね(笑)。そういうものが裁判の証拠として、大音量で流れるのは、すごいきつそうだなと思ったのと、あの夫婦が言い争っていた焦点みたいなところで、小説が出てきて……。
――そうですね。
綿矢:要は、アイデアを盗んで小説にしたんじゃないかという。自分と同じような職業を目指している夫が、小説を考えるだけで書けなくて、見せてもらったアイデアを、これはいい題材だからって彼女が自分で書いたという経緯があった。まあ、これはもう、たまらんなと思って(笑)。そこはやっぱり、すごく感情移入して観てしまいました。同じ職業の人が同じ家にいるっていうだけで、それなりにきついけど、その創作の根幹に関わるような、アイデアを取られた取ってないという問題が出てきたら、それはすごいケンカになるやろうなって(笑)。ただ、何かのアイデアがあったとして、それをホンマに小説にできるかっていうのは、また別の才能だと思いますけど。
――映画でも、そのようなことを言っていましたよね。
綿矢:そうですよ。題材が一緒やったからと言って、それを誰もが小説にできるわけでもない。ただ、その譲歩の仕方が、「じゃあ、あんたの名前は、原案って形で載せてもいいから」みたいな感じで。この、どこまでが自分のアイデアで、どこまでが脚色なのかという線引きは、今の日本でも議論を呼んでいる話題なので、気をつけて見ていました。
――そうですね。
綿矢:とはいえ、よくよく聞いてみたら、彼女のほうは彼女のほうで、結構な分量をそのまま使っていたりしていたみたいだから、後ろ暗いところはあったのかなと。そのあたりが、かなりリアルな話やったなと思いました。あとから映画の資料を見てみると、この映画の脚本は、女性の監督が男性の脚本家と一緒に書き上げたと書いてあって。
――共同脚本にクレジットされているアルチュール・アラリは、自身も『汚れたダイヤモンド』(2017年)、『ONODA 一万夜を越えて』(2021年)などの作品で知られている映画監督で、本作の監督であるジュスティーヌ・トリエとは、実生活のパートナーでもあります。
綿矢:映画のまんまじゃないですか(笑)。なるほど、だからこそのリアリティなんですかね。ふたりは普段、どんな暮らしをされているんでしょう。すごい緊張感ありそうなカップルですよね(笑)。あと気になったのは、法廷で検事が、物的証拠として彼女の小説を持ち出して、「この一節に、何か殺意がこもっている」というようなことを言ってくる。そのあたりを観ているときは、やっぱり心中穏やかではなくて……。もし自分が、何か事件に巻き込まれたときに、私の小説を証拠に持ってこられたら、ひとたまりもないなって思ってしまって。「ここに書いたのはフィクションなんです!」と言っても、一体どれだけの人がしんじてくれるんだろうと想像して、すごく怖かったです(笑)。面白かったけど、やはり笑えないシーンでした。
――それこそ、綿矢さんの新刊『パッキパキ北京』(集英社)の主人公などは、かなりぶっ飛んだところのある人ですもんね……。
綿矢:そうですよね(笑)。あの主人公そのままの性格の人間だと思われたら、日常生活でならまだいいけど、法廷だったらかなりキツいですね。あと、この映画の冒頭の学生さんのインタビューみたいなところでも、「実際にあったことを、小説に書くことについてはどうですか?」ということを聞かれて、主人公が少し答えにくそうにしていたけど、そこは難しい問題だと思うんですよね。「フィクション」と「私小説」と「現実」の境界線を一口で説明するのは本当に難しい。そのあたりのことについても、この映画は考えさせようとしているのかなと思いました。
――綿矢さん自身、インタビューなどで「この小説は、どこまでが実体験で……」でみたいなことを聞かれて、困るようなときもあるのでは?
綿矢:そうですね。困ります。別に困るだけならいいんですけど、この映画の場合は、その返答次第で、自分が刑務所に入るかどうかが決まるわけじゃないですか。それはもう、必死になりますよね。「違います。それは全部、フィクションです!」って(笑)。
――(笑)。その後、少しでも本当のことが混ざっていることが発覚したら、また大変なことになりますね。
綿矢:そうですよね。そのあたりのことも、この映画では描かれていて、観ながらいろいろ考えてしまいました。それだけいろいろなことを考えさせられるのに、主人公の彼女自身が、どっちつかずというか、イマイチはっきりしないような雰囲気があって。あの絶妙なさじ加減の演出は、さすがだなと思いました。
――アカデミー賞で主演女優賞にノミネートされるだけのことはあると。
綿矢:そうですね。実際、殺せそうにも見えるし、殺す理由がないようにも見える。、夫のほうは最初に死んでしまうから、どういう人物だったのかというのが、終盤になるまでわからないんですけど、まわりの人たちはみんな「いい人やった」としか言わないし、息子もすごい泣いていたから、そこの関係性は悪くはなかったんだろうと思う。でも、夫婦喧嘩のところで、その人となりが、少しわかったような気がしました。いろいろと苦しいのはわかるけど、自分の苦しみを他人のせいにし過ぎやという。
――個人的に印象的だったのは、スナップ写真の使い方でした。
綿矢:ああ、あれはすごくいい写真でしたよね。2人とも自然な表情をしていて。
――2人がいい関係性の頃もあったというのが、あの写真を見ているだけで、なんとなく感じられました。
綿矢:映画の最初と最後に、2人が昔撮ったスナップ写真が出てきて。ストーリー自体は結構怖いことを題材にしているけど、どこか演出に品があるようにみえる。だから、「もう、観てられない!」みたいな感じではないんですよね。観ているうちに、いつの間にかあの裁判の陪審員になったような気持ちになって、観客自身が何か決断を強いられるように感じます。あの裁判を傍聴していた人たちも、夫婦喧嘩の音声が流れるところとかは、なんかもう辛抱たまらんというか、みんなすごい微妙な表情になっていましたね(笑)。
――他人の夫婦喧嘩に居合わせてしまったような気まずさがありますよね。それを知らない人たちの前で聞かされている息子が、いちばんたまったもんではなかったような気もしますけど。
綿矢:そうですよね。息子は大変でしたよね。まだ子どもなのに、いちばん圧が掛かる立場だったというか。途中で証言をひっくり返したときも、大人たちから結構きつく責められていたじゃないですか。でも、そんな立場であるからこそ、彼が決断を下したときは、やっぱり「おおっ」って思って……。
――実は夫婦の映画ではなく、彼の映画だったのかもしれないですね。
綿矢:そうですね。先程話したように、真実はともかく、まずは自分の立場を決めないとアカンみたいなことは、年齢とかで免除されるわけではないんだなと。しかも、自分の両方の親のことが掛かってくるわけで。そこがすごく大変そうでした、裁判に限らず、どっちつかずのことを言っていたら始まらない状況って、実は結構あるなと感じました。
――旗色を鮮明にしなければならない場面って、実は結構ありますよね。知り合い同士がケンカしたときに、どっちの味方をすべきなのかとか、それこそ競合他社に転職した人と、以前のように付き合いをしていいのかとか(笑)。多少グレーであっても、白と黒どっちなのか、自身の立場をはっきりさせなければならないという。
綿矢:うん、そういうのは現実でもシビアにあるなと思いました。映画観ながら「怖っ!」って思ったり。でも、今まで観た映画の中で、いちばん被害者と加害者の両方の立場になって、考えることができた映画でした。いかにもやってないのに無実の罪を着せられた人が、その嫌疑を晴らすような映画だったら、疑われている人に感情移入しながら作品を観ればいいけど、殺されたかもしれない人と、殺したかもしれない人、その両方の立場を一本の映画で味わえる感じがして。夫婦喧嘩の音声でも、確かに殴るような音が聞こえるんだけど、どっちが殴っているのか、絶妙にわからないようなところがあって。この場合は、どっちでも考えることができる。。そうやって、観る人の心の針を、どちらか一方に振れさせず、ずっと真ん中に保たせたまま描いていくのは、練りに練られた技術やなって思いました。
――男性だから男性を、女性だから女性を応援するような、そういう単純な映画ではなかったですよね。
綿矢:そうですね。小説家だからといって、小説家を応援するような映画でもなかった(笑)。
――では最後に綿矢さんはこの映画を、どんな人たちにおすすめしますか?
綿矢:うーん、難しいですね。ミステリ好きとか裁判ものが好きっていう人より、もっと人間ドラマが好きみたいな人におすすめする感じかな。もっと言うならば、人間について考えさせられるような映画を求めているような人たち。そういう人は、絶対に観たほうがいいと思います。一生懸命観れば観るほど考察が深まる映画だったし、私が普段観る映画って、ホラーとかコメディとか、あまり考えさせられないものが多いんですけど(笑)、そんな私でも、この映画を観ながら、夫婦というものについても考えたし、裁判についても考えたし、小説についても考えたし……。一本の映画で、これだけいろんな人の気持ちとか、それこそ社会のことまで考えさせられるような映画って、あまりないように感じました。そういう意味では、本当に観て良かったなと思いました。
■公開情報
『落下の解剖学』
TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
監督:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ
配給:ギャガ
原題:Anatomie d'une chute/2023年/フランス/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/152分/字幕翻訳:松崎広幸/G
©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma
公式サイト:gaga.ne.jp/anatomy
公式X(旧Twitter):@Anatomy2024