人間は善か悪か? 『ハンガー・ゲーム0』の奥行きを生んだ“社会契約説”の問いを解説

『ハンガー・ゲーム0』における命題を解説

 公開中の映画『ハンガー・ゲーム0』は、2023年の大ヒット作だ。北米では2週連続1位を獲得し、全世界ではすでに製作費の3倍にあたる3億ドルの興行収入(※1)を達成している。

 もともと、革命運動を描いた旧作『ハンガー・ゲーム』シリーズ自体、莫大な影響力を持っていた。顕著なのは政治方面だ。2010年代前半に公開されて以降「トランプ政権を予言したシリーズ」と評されたばかりか、アメリカから広がったブラック・ライブズ・マター運動、ミャンマーやタイといった東南アジアの民主化運動のシンボルとして、劇中スローガンや「三本指」サインが使われていくほどだった。(※2)

 政治性を軸に、基本設定を振り返ろう。本シリーズの舞台となるのは、紛争や気候変動によってディストピア化した近未来の北米地域に建つ独裁国家パネム。厳しい格差社会で、特権階級の首都キャピトルと植民地的な12の地区にわかれている。ハンガー・ゲームとは、反乱戦争への罰として始まった国家イベントで、毎年儀式で選ばれた24人の子どもたちに生き残りを賭けた殺し合いをさせるバトルロワイヤルとなっている。

映画『ハンガー・ゲーム0』本予告映像

 重要なのはリアリティショー要素だ。ハンガー・ゲームとは、テレビ中継される一大メディアイベントなのだ。本番前にメディア露出機会を与えられる参加者たちは、そこで魅力的な自己PRを行い「視聴者のお気に入り」になればなるほど、戦闘に有利な支援を集めることができる。日本でも人気を博しているオーディション番組『PRODUCE 101』シリーズのようなコンテスト形式というわけだ。

 旧作の政治的影響力は、この仕組みにこそあった。原作者スーザン・コリンズが着想を得たのは、テレビ放送を見ながら、イラク戦争報道と子どもたちが争うリアリティショーの境界が曖昧に感じた瞬間だった(※3)。圧政側と革命側双方のダーティな情報戦を描く政治劇『ハンガー・ゲーム』が予見していたものとは、リアリティショー文化が猛威をふるうSNS時代式プロパガンダにほかならない。だからこそ、映画版ヒット後、予言成就のような現象が連続したのだ。米国では『アプレンティス』のスター、ドナルド・トランプが大統領に就任して「政治のリアリティショー化」が喧伝されるようになり、SNSを通してアレクサンドリア・オカシオ=コルテスなどの左派アクティビスト色の強い政治家が脚光を浴びていった。

 旧作から64年前となる反乱戦争後の復興期を舞台にした『ハンガー・ゲーム0』も、国際政治との不吉なリンクを形成している。フィーチャーされるゲームは第10回大会で、まだ開発途上の段階にある。(将来的に大喜びで鑑賞するようになる)キャピトル市民たちが「残酷すぎる」として中継視聴を拒絶する状況にあったため、運営側は、(旧作時代にまで通ずる)フリッカーマン家による司会や教育係制度を導入したり、参加者の子どもたちを動物園の檻に収監して「視聴者が同情しなくていい見世物」かのように見せたりする殺戮のエンターテインメント化にはげんでいる。戦場も旧作より小規模かつ質素だが、それゆえ、子どもたちが命を落としていく残酷さのリアリティが増強された面がある。海外では、SNSにて紛争地の映像が流れるようになった近年の状況と重ね合わせた観客も多かったようだ。

 『ハンガー・ゲーム0』はヴィランオリジンとも言える。主役となるのは、旧作の主人公カットニスを苦しめた圧政大統領、コリオレーナス・スノーだ。若き日の彼は、戦争によって没落した名門一族。(旧作で全身トラ柄の姿となっていた)従姉妹タイガレス・スノーと困窮した生活を送りながら、アカデミーのエリート学生としてハンガー・ゲームの教育係に就任する。そこで組むことになる相手が、カットニスと同じ第12地区から選ばれ(さらには登場早々同じポーズをとる)反抗的なプレイヤーの少女、ルーシー・グレイ・ベアードだ。戦闘には勝てそうにないもののメディア受け抜群なパフォーマーたる彼女は、ゲーム戦略を立てていくなかで、性格的にも立場的にも正反対のスノーと惹かれあうことになる。

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