『水は海に向かって流れる』が切り取ったリアルな空気感 映画でしか表現できない“味わい”
ああ、いい肉を買いに行きたい。それを豪快に刻んだ玉ねぎとめんつゆで雑に煮て、ごはんの上にのせた「ポトラッチ丼」なる牛丼が食べたい!
この「ポトラッチ丼」という聞き慣れない名称にピンと来た方は、きっと漫画『水は海に向かって流れる』を読んだことのある人だろう。
本作は、2018年から2020年まで『別冊少年マガジン』(講談社)で連載され、第24回手塚治虫文化賞・新生賞をはじめ様々な漫画賞に輝いた。2023年6月には広瀬すずを主演に迎えて実写映画化され、このたび12月13日にBlu-ray&DVDがリリースされる。
もともとグルメ漫画を描こうとしてスタートしたという原作漫画には、度々美味しそうな料理が登場する。なかでも、物語の始まりにインパクトを残したのが、先述した「ポトラッチ丼」だ。「ポトラッチ丼」とは、叔父を頼ってシェアハウスにやってきた高校生の直達(大西利空)に、同居人のOL・榊(広瀬すず)が振る舞った手料理のこと。
漫画で描かれたモノクロのシーンを読んでいても思わずゴクリと生唾を飲み込まずにはいられなかったが、その実写化された映像の輝きはまさに「暴力的」だ。実写化に伴って漫画にはない肉の鮮やな色が私たちの目に飛び込んでくる。
美しいピンクの霜降り肉が、めんつゆで茶色く染まってもなおその威厳を保っているのがうかがえる。この料理は、直達の心を鷲掴みにするだけでなく、榊という人物を示唆する大事なシーンでもあった。榊は、時折こうして雑に高級な肉を振る舞い、シェアハウスの同居人たちに不思議がられていた。
こんなにも美味しいものを差し出しているのに、なぜかそのときの榊の表情は無愛想。私財をなげうってでも用意する抜群に良い食材に、ぶっきらぼうに感じられるほど大胆な調理方法、そして食べるときのまるでそっけない表情……そんなアンバランスなところに、榊の持つバックグラウンドがにじみ出ている。料理がさらにおいしそうに見えれば見えるほど、より榊の持つ歪さが鮮明に描かれているように感じた。
色といえば、榊を演じる広瀬すずのリップの色にも目が止まった。漫画を読んでいる中で、勝手に「榊は化粧っ気のないアラサーOL」とイメージしていたからだ。その理由は、先ほど少し触れた、榊の持つバックグラウンドにある。
榊の母は10年前、とある男性とW不倫の末にかけおちした。榊が16歳のときのことだった。多感な年頃の榊は、母の行動が理解できない。いや、誰かを好きになることでその行動を理解できるのだとしたら、恋愛など一生しなくていいと心に決める。そのW不倫の相手が、偶然にも直達の父だったという事実から物語は大きく動き始めるのだ。
漫画がその瞬間瞬間に読者の視線を集めることができるのに対して、生身の俳優が演じる実写はその背景に広がる社会に自然と目が向いてしまう。ストーリーと並行して流れる現実がどうしてもノイズとして入ってきてしまうのだ。
だからこそ、榊が16歳から26歳にかけて守ってきた、母親への反抗心の表れとも言える「一生恋愛しない」という誓いが、実生活にどんな影響を及ぼしてきたのかと想像力が掻き立てられる。
年頃になれば、周囲から「恋をしろ」なんておせっかいを言われることもあっただろう。「もっと身綺麗にしたら良いのに」なんていらぬアドバイスをかわすのも煩わしく思ったかもしれない。ならば、恋愛をしないという心の奥底にある怒りまで探られないように、先回りしてあえてメイクをバッチリしていてもおかしくはない。
あるいは、恋愛をしないと決めたからこそ、自分のために着飾ることにしたというのも大いにアリだ。むしろ、榊の理不尽な境遇を考えると、彼女の人生にそんなちょっとした楽しみがあってくれたほうがなんだか安心する……なんてリップから原作漫画にはないサイドストーリーを妄想したくなった。