これが人間の本質? 『イカゲーム:ザ・チャレンジ』はデスゲーム出資者の気分を味わえる

 Netflixで配信中の『イカゲーム:ザ・チャレンジ』を観たが、これが特別に素晴らしいショーであると言い張るつもりはない。『イカゲーム』が社会現象を巻き起こしたからといって『イカゲーム』を再現したリアリティショーが原作の本質的な面白さに至れるはずもない。集められたのはあくまでも一般人であり、イ・ジョンジェのようなスターは当然ながら不在だ。とはいえ、まったくもってくだらないコンテンツと切り捨てるのは惜しい。なにしろ『イカゲーム:ザ・チャレンジ』はNetflixの定額料金を払っている我々に「デスゲームに出資する暗黒お金持ち」の気分を味わせてくれる作品なのだから。

 デスゲーム運営において暗黒お金持ちの存在は欠かせない。暗黒お金持ちは贅の限りを尽くしこの世の全ての娯楽を味わった存在であり、ちょっとした刺激では己を満足させることはできない。そんな彼らにとって貧乏人が醜く争い、知恵をめぐらせ、そして無惨に死んでいく様はこの上ない娯楽なのだ。無論、フィクションの中だけの話だが。『イカゲーム:ザ・チャレンジ』はまさに暗黒お金持ちのロールを己に課すのにうってつけの作品だ。なぜなら頭上に輝く豚の貯金箱に積まれるのは、間違いなく『シャドー・オブ・ナイト』(2018年)のラストバトルを繰り返し観るために毎月支払われた金なのだから。

 とはいえ、なにもロールに徹することだけが『イカゲーム:ザ・チャレンジ』の楽しみではない。本作がリアリティショーとして観賞に堪えうる作品を目指した結果、実にデスゲームらしい作品に仕上がっているのも見どころだ。第1ゲーム「だるまさんがころんだ」でゲーム参加者が黒色のペイントを噴き出して地面に寝ころび死んだふりをした時は流石に観るのを止めようかと悩んだものの(とはいえ賞金を逃した敗者がばかばかしい演技をさせられていると考えると、暗黒お金持ち的にはおもしろいポイントなのかもしれない)、ゲームが進んでいくうちに『イカゲーム』原作にあったゲームにアレンジが加えられ、心理戦の側面が強くなる。

 『イカゲーム:ザ・チャレンジ』では時折、条件を満たした参加者に他の参加者を脱落させる権利が与えられる。つまりゲームで目覚ましい成績を残した者や敵対している者。そしてただただ不快な参加者などを脱落させることができる。全ては己の裁量次第だ。しかし、この権利を行使する時は気を付けなければいけない。誰かを脱落させたことによって、その人と派閥を組んでいた者や親しく思っていた者から恨まれることになるのだから。

 こうした要素を中心に『イカゲーム:ザ・チャレンジ』では運だけではなくコミュニケーション能力や集団で行動する時の立ち居振る舞いが重要となってくる。コミュニケーション能力によって敵対者を減らすことができるし、立ち居振る舞いによってゲームを有利に進めることもできる。目立てば標的にされる一方で、誰ともつるまずにいると「よく知らないから」という理由であっさり落とされたりする。そして賞金を得るためには時に信頼や友情を裏切らなければいけない。人間性が浮き彫りになるような心理戦はまさに日本のデスゲーム的であり、ゲームの合間の日常生活すら滑稽でばかばかしい(本作の)「だるまさんがころんだ」より見られるものになっている。

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