『葬送のフリーレン』今だからこそ見直すべき “第1話” フリーレンの心に芽生えたもの

『葬送のフリーレン』見直すべき “第1話”

 10月からTVアニメの放送が始まり、現在も人気が広がり続ける『葬送のフリーレン』。

 アニメの第1話には、放送開始から約2カ月が経過した今だからこそわかる魅力が隠されていることをご存知だろうか。

 本記事では、アニメ第10話までの内容をもとに第1話の演出を振り返り、その隠れた魅力を考察。回を重ねるごとに深みが増す『葬送のフリーレン』の本領を紹介する。

10年が「短い間」から「気長」に変化

 人間よりもはるかに寿命が長く、時間に対する認識がずれているフリーレン。そんな彼女が第1話と第2話で見せた「10年」の捉え方の違いからは、フリーレンの“人間へ寄り添う心”の成長がうかがえる。

 第1話の冒頭、10年の冒険を懐かしむヒンメルやハイターに、フリーレンは「短い間だったけどね」と言い放つ。

 しかし、ヒンメルの死から20年後の第2話では、習得するまでに10年かかると思われるフェルンに対して「気長に取り組むことだね」と教えるのだ。

 第1話の宴から第2話のフェルンとの会話までの20年間、フリーレンは旅先でなるべく多くの人と関わり過ごしてきたとハイターに話している。

 現在の姿と10年を軽視した第1話の発言を比べれば、彼女が20年の間必死に人の一生の短さを理解しようとしてきた事実がわかるだろう。

 10年を短い間と捉え、驚くヒンメルをよそに唐揚げのような食べ物をほおばるフリーレンと、1年ごとにプレゼントや特別な料理でフェルンとシュタルクの誕生日を祝うフリーレン。

 第1話を改めて観てみると、今の彼女がいかに「人間にとっての時間」に寄り添っているかが伺える。

平然と歩いていた迎え入れ、今は目を伏せ不機嫌そうに

 第1話から現在までのフリーレンの変化は、時間の捉え方だけではない。ヒンメルの死後、人間のさまざまな感情にふれることによって、フリーレン自身に“”恥”の感情が芽生えている。

 その様子がわかるのは、第1話と第6話で描かれる観衆に囲まれた際の表情の違い。第1話では盛大に勇者一行を迎え入れる観衆の間を平然と通過したフリーレンが、第6話ではやや目を伏せ、うつむきがちな表情で歩くのだ。

 魔王を倒したフリーレンたちをファンファーレ付きで迎えた第1話の観衆に比べれば、第6話でフリーレンとフェルン、シュタルクを見送った村人たちの対応は小規模で地味。

 それでもフリーレンが「こういうのあまり好きじゃない」「落ち着かないでしょ」と言って不機嫌そうに群衆の間を通り抜けたのは、彼女の中に恥じらいや人間への興味が生まれたからだろう。

 人間に興味がなければ群衆からどのように思われてもどうでもいいはずであるし、恥がなければそこまで不機嫌にはならないはずだ(フリーレンは不機嫌な理由として魔法の研究が思う存分できなかったことを挙げているが、千年以上生きる彼女なら、また村に戻ってくればよい話だと思われる)。

 第1話での冷静沈着な表情と現在の豊かな表情を比べれば、フリーレンに人間らしい感情が芽生えてきている様子がよくわかる。

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