シルヴェスター・スタローンの精神は『ロッキー』そのもの その生き方が示す人生の希望
半年ほど前より、アクションスター俳優アーノルド・シュワルツェネッガーの伝記ドキュメンタリー『アーノルド ~シュワルツェネッガー、三つの人生~』(リミテッドシリーズ)(https://realsound.jp/movie/2023/06/post-1355234.html)がNetflixで配信されている。しかしシュワルツェネッガーの人生を辿ったのなら、ライバルである“あの人”の人生も辿らねばならないだろう。そう、「スライ」ことシルヴェスター・スタローンである。
本作『スライ:スタローンの物語』は、アクションスター、シルヴェスター・スタローンのこれまでの人生を、本人や関係者の証言、映画評論家やクエンティン・タランティーノ監督、そしてライバルのシュワルツェネッガーらの見解とともに一つの映画作品として振り返っていく内容だ。シュワルツェネッガーと並び称される存在の人生ということで、同じような内容なのでは……と思う人もいるかもしれない。だがこの作品を観ると、同じではないどころか、ほとんど対照的なのである。
いったい、何がそんなに違うのか。ここでは、本作『スライ:スタローンの物語』の中身を抜き出しながら、シルヴェスター・スタローンの人生や人間性について考えてみたい。
スライはニューヨーク、マンハッタンにある地域「ヘルズキッチン」のイタリア系の家庭に生まれる。1990年代くらいから治安がかなり改善されたというが、彼が生まれた時代は、まさに「地獄の台所」という名前に相応しい危険な地域だったという。
弟フランクは、両親とも子どもたちに暴力を振るっていたと証言する。とくに父親はスライを目の敵にし、精神的にも肉体的にも虐待といえるような行為を何度もおこなっている。スライは、この父親によって何度も傷つけられ、失望し、憎しみを覚えることの繰り返しであったようだ。このネガティブな感情が、人格形成や後の考え方に大きな影響を及ぼしている。
両親の喧嘩が絶えないため、兄弟はよく映画館を逃げ場にして、劇場に何時間も入り浸っていたのだという。入れ替え制ではないため、何度も何度も同じ映画を観る。怪我の功名というべきか、このときの経験はスライと映画とのかかわりにおいて非常に大きなものだったと考えられる。そして、『ヘラクレス』(1958年)のマッチョな主演俳優スティーヴ・リーヴスが憧れの存在になったと語る。
成長したスライは父親から離れて、憧れだった演技の道に進もうとするが、「滑舌が悪い」、「タレ目だ」などと言われ、なかなか役をもらうことができなかったようだ。映画作品に何度か出演はしたものの、エキストラや無名のチンピラ役ばかりで、俳優業を続けることを半ば諦めかけていたというのだ。ボディビルダーとして世界の頂点に立つという、輝かしい経歴を背負って映画界で勝負できたシュワルツェネッガーと比べると、絶望的な状況といえる。
自分が輝ける役のなかったスライは、自分自身を主役にした脚本を書くという作業に熱中したのだという。参考にしたのは、マーティン・スコセッシ監督によるイタリア系ギャング映画『ミーン・ストリート』(1973年)だった。当初は暴力的な借金取りを主人公にした陰惨な内容だったが、アクションの要素を残したまま共感できるものにしようとしたことで、主人公にボクシングをさせるというアイデアが生まれた。これが名作『ロッキー』(1976年)へと結実していくというわけだ。