『ゴジラ-1.0』公開初日からロケットスタート 山崎貴監督の“好き”が詰め込まれた一作に

『ゴジラ-1.0』初日からロケットスタート

 山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』が、11月3日に全国の映画館で公開を迎えた。『シン・ゴジラ』(2016年)以来、7年ぶりとなる日本のゴジラ映画だ。今回の映画のオファーを受けた時の心境について山崎監督は、劇中に出て来る台詞を引用しながら「誰かが貧乏くじを引かなきゃいけねぇんだよ」と、『シン・ゴジラ』直後の東宝映画ゴジラを演出する重責として例えている。(※)

 それだけゴジラ映画を監督することのプレッシャーも責任も大きいということだ。『シン・ゴジラ』公開時、山崎監督は「次にやる人のハードルがあがってしまいましたね」とコメントを寄せていたのだが、その“次にやる人”が、まさか自分になろうとは思っていなかったことだろう。

 『ゴジラ-1.0』本編の方はといえば、『ゴーストブック おばけずかん』(2022年)の神木隆之介、『アルキメデスの大戦』(2019年)の浜辺美波、『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作(2005年~2012年)の吉岡秀隆と、山崎貴作品に出演歴のある役者たちをメインに、VFXディレクターの渋谷紀世子、美術の上条安里、撮影の柴崎幸三、そして音楽の佐藤直紀など、『ジュブナイル』(2000年)以降の山崎監督の作品に多く参加している、まさに山崎組といえるメンバーで固めた鉄壁の布陣だ。総監督、監督、特技統括、CGディレクターに、それぞれ細かく個別の人材を振っていた『シン・ゴジラ』に対し、本作は監督・脚本・VFXを山崎貴が1人で兼任している点も印象的だ。

 山崎貴作品にずっと触れられている人なら、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の冒頭にゴジラが登場するのはご存じだろう。その時に山崎監督は「昭和29年とか、30年代を舞台にしたゴジラ映画ができればいいなとずっと思っていました。ちゃんと昭和の町を作り、その背景にゴジラを登場させることは、ゴジラ好きには夢なんです」と語っていたのだが、『ゴジラ-1.0』はまさしく戦後間もない昭和の町をゴジラが破壊し尽くす映画になっていた。

 『続・三丁目の夕日』のゴジラは、夢の中というシチュエーションだったので、多少のディフォルメを交えて周辺は楽し気に描かれたが、今回は放射能をまき散らす恐怖の象徴だ。そもそも物語の発端が第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)で、お国のために戦ってこそ軍人の本懐と思われていた時代に、特攻隊から生きて還ってきた青年・敷島浩一(神木隆之介)が、「俺は生きていてもいいのだろうか」と悩み苦しむ。自分の意気地のなさが原因で多くの人命が失われ、打ちひしがれているところへ追い打ちをかけるように、よくもおめおめと生きて還ってこられたなと、家の隣人からも非難される有様だ。

 実写、アニメ問わず、これまでゴジラ映画は数々作られてきたが、これほどマイナスのところから出発した主人公はいないだろう。「戦後、日本。無(ゼロ)から負(マイナス)へ。」という本作の惹句は、文字通り戦後の何もなくなった日本に脅威をもたらす存在のゴジラを象徴したコピーだろうが、主人公の敷島もまたマイナスからの出発で成長するキャラクターである。

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