劇場版『ONE PIECE』が問い続ける“正義”のあり方 ゼットの圧倒的な強さに魅了される
正義を遂行すれば犠牲が出る。それでも正義を貫くべきなのか。妥協しながら少しの正義を行い続けるべきなのか。そんな難しい立場に追い込まれて苦悩し、決断する者たちを劇場版の『ONE PIECE』は描き続ける。10月21日にフジテレビ系『土曜プレミアム』で放送される『ONE PIECE FILM Z』に登場するゼットもそのひとり。正義の敵となる海賊をすべて滅ぼそうとして行ったその振る舞いは、どこかで誰かが苦しみ続けているこの世界に生きる人たちを魅了し、同時に迷わせる。
10月20日から1カ月限定で再上映が始まった劇場版『ONE PIECE FILM RED』は、それまで素性を隠して活動してきたウタという名の歌姫が、初めて人前に姿を現し音楽の島「エレジア」でライブを行う場面から幕を開ける。その歌声は、来場者たちだけでなく中継を見ていた全世界の人たちも虜にする。
歌が世界を安寧に導く。そんな希望を見せてくれるストーリーに惹かれ、ウタを心から応援したくなるが、映画がやがてウタが何を思って歌っているかを示し、そして世界に何が起こっているかを見せた時、そのままウタを支持し続けるべきなのか、それとも否定すべきなのか決断を迫られる。
ウタが願い、遂行したことによってもたらされる状況に身を委ねれば、幸せな気持ちになれることは確かだ。戦火に追われる人がいて、貧困に苦しむ人がいる現実世界の惨状を目の当たりにすると、余計にウタの願いを聞き入れたくなってくる。たとえ払われる犠牲があったとしても、得られる安寧を思うとその足元にかしずきたくなる。そう思う人たちを誘って『ONE PIECE FILM RED』は、日本だけで1400万人を超える観客を動員した。
『ONE PIECE FILM Z』も同じように、とことんまで正義を貫こうとしたゼットという人物への共感を呼び起こす作品だ。たたき上げの海兵として海賊たちと戦い続け、海軍本部大将の地位にまで上り詰めながらも出奔したゼットは、NEO海軍という組織を率いてファウス島を襲撃。巨大なエネルギーを秘めたダイナ岩の奪取に成功するが、ゼットは海軍本部大将の黄猿ことボルサリーノと戦って追い詰められ、ダイナ岩を爆発させてファウス島を海に沈める。
スピーディーで迫力たっぷりの戦闘シーンに、いきなりクライマックスを観せられたような気分になるが、映画はここからが始まりだ。ルフィたち麦わらの一味が、サウザンドサニー号に乗って新世界を航行していると、海を漂流する男がいた。それがゼット。大爆発に巻き込まれながらも生き延びて、海に流されたようだった。
助け上げようとしてルフィが手を長く伸ばし、ゼットの腕に装着された巨大な装置を掴むと、なぜかヘナヘナになってしまった。悪魔の実の能力者にとって天敵とも言える海楼石でできているらしい。そんな装置を何に使っているかは、すぐに明らかになる。チョッパーによって治療を施され、目を覚ましたゼットは最初のうちはにこやかに談笑していたが、ルフィたちが海賊だと知ると一変して麦わらの一味を襲い始める。
そこでゼットが繰り出したのが、腕にはめた「バトルスマッシャー」だ。海楼石の力で悪魔の実の能力を封じ、大爆発を浴びせて相手を倒す武器にルフィも翻弄される。能力者ではないゾロの剣戟もサンジの蹴りも軽々と跳ね返すゼットの強さには、ルフィたちの敵と分かっていても惚れ惚れしてしまう。おまけにゼットが目指すことが、世界を不安に陥れている海賊の撲滅だと聞いて、正義の味方だったのかと見直してしまう。
もっとも、その正義がとてつもない犠牲を伴うものだと分かって大いに迷う。ゼットこと「黒腕のゼファー」がそのような心境に至った経緯が分かると、さらに迷いも大きくなる。己が正義を信じて海賊と戦い続けて海軍本部大将にまでなり、また教官として冒頭で戦った黄猿ボルサリーノや青雉クザンらを育てあげた生粋の海兵が、海軍本部を去らざるを得なかった事情に、海兵たちの背中に書かれた「正義」とは何なのかと問いたくなる。