『呪術廻戦』五条悟が見た夢の主人公が夏油傑だった理由 「懐玉・玉折」が意味するもの

 アニメ『呪術廻戦』の「懐玉・玉折」の幕が下りた。アニメ勢や『劇場版 呪術廻戦 0』から本作の世界に足を踏み入れた視聴者は、未曾有のテロを起こしたあの夏油傑にこんな痛ましい過去があったことに驚いたかもしれない。しかし、真に驚くべきは、彼が道を外した理由が想像以上に“理解できる”ものだったことだろう。

 劇場版で、彼は非術師のいない世界を作ろうとしていた。それを聞いた乙骨憂太や禪院真希らは彼の異常思想を「狂っている」と考える。それもそうだ、夏油の言う理想郷を作るには呪術師以外の一般市民を“すべて”間引かなければいけないから。そんな途方もない計画を“本気で”信じ、実行しようとしている夏油は、彼らからすると(少なくとも劇場版の中では)ちょっと常軌を逸した存在である。しかし、「懐玉・玉折」を観てわかる通り、夏油は誰よりも“真面目”で善意を持つ青年だった。だからこそ、このすべてが悲しいのだ。

 海外でも同時に配信された本エピソードは「懐玉」が「Hidden Inventory」、「玉折」が「Premature Death」とされていて、英訳が絶妙。直訳すると「隠された知の集積」と「早すぎた死」となり、まさに元々の意味である「優れた才能を内に秘めていること」、「才能ある者が若死にすることのたとえ」とマッチしている。そして、それぞれが過去編での五条悟と夏油を象徴した。「懐玉」は五条の物語だ。高専2年生の時の彼は、六眼と無下限術式持ちとしてのポテンシャルはあれど技をうまく出せなかったり、反転術式を使えなかったりと完璧ではなかった。しかし伏黒甚爾との対戦を経て、順転術式「蒼」、(治癒を含めた)反転術式「赫」、そして二つを掛け合わせた一部の人間しか知らない虚式「茈」を会得した。現代最強の術師になる手前の若き五条の状態を指す言葉が「懐玉」そのものなのである。

 では、「玉折」は何を指すのか。この過去編において“早すぎた死”は3つある。天内理子と灰原雄の死。そして最も重要なのが、彼らの亡骸を目の当たりにしたことで、五条さえも指針にしていた夏油の理念やモラル……彼自身の善意が遂げた“早すぎる死”である。

「誰のために?」

 吐瀉物のような味がする呪霊を呑み込み、祓い、呑み込む日々を繰り返した夏油が抱いた純粋な問い。もちろん、“誰”というのは彼自身わかっている。非術師だ。しかし、この問いの本質は「彼らは自分がそんなことまでして救うべき存在なのか」という疑問にある。第25話で五条に諭していたように、彼は「弱者生存」を理念に掲げて“呪術師であれば非術師を救うことが当たり前”だと考えていた。自分や仲間が命をかけてまで助けた人間がたとえ醜い魂を持っていても、人を傷つけたり殺したりするような存在でも、それを知った上で力を持つ者としての責務を果たさなければならない。しかし、彼らは弱き者ではあるが“救われるべき者”なのだろうか。耳の奥でこだまし続ける、あの拍手の音。第28話のクレジットシーンで、天内の遺体に向けて(彼女の死を祝福するように)笑顔で拍手し続ける盤星教の信者を皆殺しにしようとした五条を、夏油は止めた。口では理論的に五条に彼らを殺さない意味を説いていたが、その拍手が象徴する人間の醜悪を夏油は1日たりとも忘れられない。

 シャワーから溢れる水温が、外で雨が降り始める音が、それに似たような音がすべて彼には拍手に聞こえてしまう。それだけで相当な心的外傷を負っていることが理解できる。第29話で描かれたそれは、前回のラストで描かれた震える瞳に続き、キャラクターの心理を表現するうえで映像だからこそできる、素晴らしい演出だった。そんな彼に無責任にアイデアを与えてしまった、九十九由基。彼女が夏油に「非術師を見下す君」「それを否定する君」と説く際に一方を学校の出口、もう一方を教室が連なる廊下を指差した演出も良い。学舎で得た倫理を持ち続ける道と、そこから逸脱する道。夏油は任務先で幼い双子の少女(美々子と菜々子)が何の意味もなく監禁されている姿を見て、後者を選んだ。彼は彼女たちを“早すぎる死”から救ったのだ。結局のところ、彼が離反した原因は、あの信者たちのような醜い人間のために、灰原のような仲間の術師の屍が積み重なることに耐えられなかった、その優しさにある。真面目な人ほど、ダメージを食らったり考え込みすぎたりして病んでしまう理不尽な社会が、漫画やアニメの世界に限った話でないからこそ、私たちは夏油に共感し、同情せざるを得ない部分もあるのだ。

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