『らんまん』万太郎はなぜ田邊の名前を記載しなかったのか “義理と人情”の世界を考える
藤丸(前原瑞樹)は、万太郎は、名誉欲旺盛な田邊や伊藤孝光(落合モトキ)とは違うと、植物学への考え方を明確に区別して、万太郎の純粋性を強調する。画家の野宮(亀田佳明)も、純粋で無知だからこそ、魅力があると万太郎を評する。自分の名誉や得を考えず、お金を稼ごうという気もなく、ただひたすらに、見たことのない植物の存在を精査して世に伝えたいだけ。これは集合知的なことで、万太郎が代表してその集合知をとりまとめる役割を担っているということ。このスタイルをドラマ制作に例えるなら、万太郎はチーフ演出家のようなものかもしれない。それも局に属さずフリーながらチーフを任された演出家。だが、演出家だけではドラマはできない。重要なのは制作統括(チーフプロデューサー)である。ドラマの世界なら、制作統括と演出家のふたりのインタビューを行うほうがよい。
この手の話――誰が何をやったか、という件はとても難しい。引き続きドラマに例えれば、脚本、演出、俳優、そしてプロデューサーが代表してドラマについて語る機会がよくあるが、美術や照明や音響、衣裳や小道具など、様々な人がよりよいものにしようと力を注いでいて、でも、誰が何をやったか全員の仕事が等しく世に伝わることはない。エンドクレジットで全員の名前が出るのが最低限の謝辞である。だがそのクレジットにも記されていないが尽力していた人だっているのだ。それを考えはじめるとキリがない。だからこそ「恩返し」ではなく「恩送り」という考え方がある。受けた恩への礼は、その人に直接返すのではなく、次の人に送るという考えである。第15週に出てきた、新しい葉が出てきて古い葉が落ちる「ユズリハ」のように。
話を戻そう。名前、あるいは誰が何をやったかにこだわるわりに、万太郎が、田邊の名前を研究に出そうとしないのはなぜか。田邊がやるべきこと、本当に全身全霊をかけてやりたいことに思えないからだろう。たとえば、何もかも捨ててがむしゃらに、好きなシダについて研究してなにかを発見したら、万太郎は心から祝福を送り、図譜に彼の論文や名前を入れるのではないか。そんな気がした。とはいえ、やっぱり、ムジナモのことを掲載した図譜に関しては、田邊のおかげで実現したと真っ先に礼を言い、それに関しては一筆書いてほしかった。義理と人情に囚われたベタついた慣習はなくすべきという考えもあるかもしれない。が、義理と人情が失われたら味気ない世界になりそうだ。学問の世界はそういうベタついたものは不要で、もっと乾いて研ぎ澄まされたものなのだろうか。そういう観点でばかり描くと、エスタブリッシュメントの世界過ぎて親しみがわきにくいが、長屋の人たちの庶民的な生活や人情を描くことでバランスがとれている。
■放送情報
NHK連続テレビ小説『らんまん』【全130回(全26週)】
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
出演:神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣ほか
作:長田育恵
語り:宮﨑あおい
音楽:阿部海太郎
主題歌:あいみょん
制作統括:松川博敬
プロデューサー:板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出:渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか
写真提供=NHK