軍事評論家 小泉悠が観た『GCHQ:英国サイバー諜報局』 日本が直面するシナリオに近い?

 サイバー戦争の脅威をリアルに描く海外ドラマ『GCHQ:英国サイバー諜報局』(全6話)が、現在Amazon Prime Video チャンネルの「スターチャンネルEX」にて配信中、BS10 スターチャンネルにて8月15日より放送される。(8月5日14時より字幕版第1話無料放送)

 GCHQ(政府通信本部)とは、イギリスの諜報、サイバー、セキュリティ機関。本作では、総選挙を控えた2024年のイギリスを舞台に、ロシアによるサイバー攻撃を受け混乱に陥ったGCHQのサイバー諜報員チームとロシアのハッカーたちとの攻防が描かれる。

 徹底的なリサーチによって描かれたサイバー戦争の描写は、どこまでリアルなのか。日本が本作におけるイギリスのような立場になる可能性はあるのか。ロシアの安全保障政策・軍事政策の専門家である小泉悠氏に話を聞いた。(編集部)

“認知領域戦”を描いた画期的なドラマ

小泉悠

――まずは、本作『GCHQ:英国サイバー諜報局』を観た、率直な感想からお聞かせください。

小泉悠(以下、小泉):率直な感想としては、“『裏切りのサーカス』21世紀版 季節のポリコレを添えて”みたいな感じですかね。そんな印象を持ちました。

――(笑)。そのココロは?

小泉:ジョン・ル・カレ原作の映画『裏切りのサーカス』(2011年)は、東西冷戦下の時代のイギリスの話で、ソ連のスパイと戦っているんだけど、「MI6(イギリス秘密情報部)」の中でも戦っている話じゃないですか。このドラマも、敵はロシアなんだけど、それと戦うイギリスの政府内にもなんか終始嫌な空気が漂っている。一方、このドラマには、非常に現代的なところが2つあるように思うんです。一つは、サイバー空間で、ロシアがイギリスに侵入してくるところ。だから、「GCHQ:Government Communications Headquarters(イギリス政府通信本部)」という、割に地味な組織だったものが、MI6の代わりに前面に出てくるという。そこが非常に現代的ですよね。

――MI6と言えばジェームズ・ボンドが有名ですが、彼のようなスパイが活躍するような話ではなく……。

小泉:そうそう(笑)。ただ僕は、彼のような……もちろん、ジェームズ・ボンドは架空の人物ですけど、「ヒューミント(ヒューマン・インテリジェンス/スパイによる諜報活動)」の重要性は、これからも必ず残り続けると思っています。しかし、GCHQが扱っているような「シギント(シグナル・インテリジェンス/通信傍受による諜報活動)」の比重が、今は格段に上がってきていることも事実です。それをこのドラマは、ちゃんと描いているというのが第一点。そして、もう一つ、このドラマが本当に良くできているなと思ったのは、これまでサイバー戦を描いてきたドラマや映画があまりやらなかった「認知領域戦」を扱っているところなんですよね。

GCHQメンバー:ダニー(サイモン・ペッグ)、サーラ(ハナー・ハリーク=ブラウン)、デヴィッド(アレックス・ジェニングス)

――「認知領域戦」とは?

小泉:つまり、人々の認識を操作するような作戦を、サイバー攻撃と同期する形で仕掛けてくるということです。サイバー攻撃で社会に混乱を引き起こしておいて、そこに古典的なプロパガンダメディアとかを組み合わせた情報攻撃を行い、最終的には……これは少しネタバレになるのかもしれませんが、政権の正統性を、人々に疑わせるようなところまでいくわけです。それをちゃんと描き切ったドラマとか映画って、これまで意外となかったんじゃないかと思うんですよね。

――なるほど。そこが新しいと。

小泉:新しいですよね。ちなみに、もっと詳しく言うと、このドラマの中でヴァディームというロシア人の青年が、FSB(ロシア連邦保安庁)の講習を受けているシーンがあるじゃないですか。あのシーンで、講師の背景の画面に、実はロシア語で「リフレクシブ・コントロール」と大きく書かれているんですよね。いわゆる「反射統制」というやつなんですけど。

――途中から字幕でも「反射統制」という言葉が普通に出てきて、これは何だろうと思っていました。

小泉:ですよね(笑)。「反射統制」という言葉は、専門家の間でも、まだあまり認識している人が少ないんですけど、ティモシー・トーマスというアメリカ陸軍の研究局でずっとロシアの軍事研究をしてきた人が、1990年代ぐらいからずっとそういう話をしていて。実は最近、こういう本がようやく日本語に翻訳されたんですけど……。

――『ロシアの情報兵器としての反射統制の理論 現代のロシア軍事戦略の枠組みにおける原点、進化および適用』(五月書房新社)……まさにじゃないですか。

小泉:そう。このドラマで描かれているのは、まさにこれなんですよね。イギリスの人たちが、ロシアのリアルな情報戦を描こうと思ってリサーチしたら、真っ先に「反射統制」という言葉が出てくるはずなんです。しかもこのドラマは、その言葉だけではなく、その理論の要点を割とうまく掴みながら描いていると思いました。今の時代、サイバー攻撃の脅威みたいなことが、よく言われているじゃないですか。だけど、その多くは「サイバー・パールハーバー」という、ちょっと揶揄するような言い方をされています。たとえば、サイバー攻撃でオフィスの複合機がいきなり火を噴くとか、信号機も航空管制も全部ダメになって、ATMでお金を引き出すこともできなくなるという、パールハーバーのような奇襲作戦を、サイバー手段で仕掛けてくる可能性があると。そういう本が、10年ぐらい前はすごく多かったんですよね。

――そんな映画やドラマは、これまでたくさん観てきたような気がします。

小泉:いっぱいありますよね(笑)。でもやっぱりそれは、結局ミサイルをぶち込むのと変わらないんですよね。アメリカがいきなりロシアにミサイルをぶち込むのを、あるいはロシアがアメリカにミサイルをぶち込むのをためらうのであれば、それはサイバー空間でもやっぱりできないよねっていう。それが、サイバー時代に入ってから30年間ぐらいのあいだに出た一つの結論なんです。それよりも、サイバー空間で偽情報を流されるほうが脅威なんだっていう話が、そのあとに出てきました。去年改定された日本の国家安全保障戦略でも「認知領域の安全保障」という言葉が初めて登場しました。

――そうなんですね。

小泉:このドラマの中で、ヴァディームがFSBの講習会で聴いているように、偽情報で人々の考えを変えることが目的なのではなく、人々が何を信じていいのかよくわからなくなってしまうことが重要なんです。たとえば、自国の政府に対する信頼とか、自分たちの社会は真っ当に回っているんだという社会正義に対する信頼とか……そういうものが崩れたときに、人間というものは、ひっちゃかめっちゃかになると。そのために、公式発表は信用できない、公的制度は不正だ、政府の掲げる理念は嘘だ、という印象を人々の間に作り出す。それを描いているのが、本当にすごいところだと思います。このドラマが描いているのは、この20年の間、ロシアの参謀本部の中の戦略家たちがずっと論じてきた、新しい時代の戦い方そのものなんですよ。ちなみに、ロシアの軍事理論家たちは、それを「新型戦争」と呼んでいます。

ロシア人大学生・ヴァディーム(ゲルマン・シガール)

――それは、小泉さんが『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)などで書かれている「ハイブリッド戦争(政治的目的を達成するために、政治、経済、外交、サイバー攻撃、プロパガンダを含む情報・心理戦の他、テロや犯罪行為など、軍事的脅威とそれ以外のさまざまな手段を組み合わせた戦争の手法)」とは、また違うものなのでしょうか?

小泉:ほとんど同じものなんですけど、「ハイブリッド戦争」というのは、実はアメリカで作られた理論なんですよね。だから、ロシア人は「ハイブリッド戦争」とは言わない(笑)。というか、アメリカがそういう汚い情報戦争を仕掛けてきているという文脈で、ロシアではハイブリッド戦争という言葉が使われているんですよね。だから、ハイブリッド戦争は、我々の戦略ではないとロシア人は言っているんですけど、それと極めて近いような話を「新型戦争理論」という名前で彼らも提唱していて。つまり、アメリカもロシアも、それは相手が仕掛けてくるものであって、自分たちがやっているわけじゃないって言うんですよ(笑)。

――(笑)。

小泉:ただ、両国の間で少し状況が異なるのは、冷戦時代のアメリカ、たとえば50年前のアメリカは、ベトナム戦争をやっていて、その頃のアメリカっていうのは、まだ無差別殺戮をする国だったんですよ。ベトナムに焼夷弾をまいたり枯葉剤をまいたりして、何万人のベトナム人を殺すのも戦争の手段だと、当時のアメリカはまだ思っていたんですけど、それがだんだんきつくなってきて、国内でも「それは許せん」という反戦運動が盛り上がるわけです。そこからもうアメリカは、一般人の無差別大量殺戮ができない国になっていくんですね。で、その頃から、実はハイブリッド戦争という理論の原型が、アメリカの中で生まれていて。なぜ我々は、戦闘でベトナム軍に勝っているのに戦争に勝てなかったのかと。具体的に言うと、中隊規模以上の戦闘では、すべて北ベトナム軍に勝っている。だから、戦闘で見ると、アメリカの圧勝なんですよね。じゃあ、なんで負けるのって話なわけですよ。そこで、アメリカの軍事理論家たちは、国内社会と国際社会と敵国社会の全部から、そっぽを向かれたからだって考えたわけです。要するに、戦場の内側で勝負が決まるのが古典的な戦争だとすると、ハイブリッド戦争は、戦場の外側で決まるのだと。そこに着目して、それから30年ぐらいかけて、「ハイブリッド戦争理論」というものにまとめ上げていったわけなんです。

――なるほど。

小泉:ところが、ロシアは違うんですよね。ロシアは現在も大量殺戮をする軍隊なので。チェチェンでもやったし、シリアでもまだ現在進行形でやっていて、ウクライナでもやっているわけです。つまり、生きている「時代感の差」みたいなものが、そこにはあるんですよね。そもそもロシアにしてみたら、自分たちの蛮行は何とでもなるというか、情報統制で国内を抑え込むことができる。ところが、アメリカはそうではないし、EU諸国もそうではないわけです。民主国だから情報を抑え込むことができない。しかもそれらの国々では、もう価値観が変わってしまって、昔みたいに戦争だから何万人死んでも当然だよねなんて口が裂けても言えないし、実際そんなことはできないわけで……そこに「弱点」が生まれるんです。我々が守りたい価値観、つまり自由で民主的な社会そのものが、同時に最大の脆弱性でもあるという。そういうものすごいジレンマを持っているんですよね。そこを、このドラマの中でイギリスは、見事に突かれちゃっているわけです。

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