『君たちはどう生きるか』は宮﨑駿の“自問自答エンターテインメント” 滲み出る静かな決意

『君たちはどう生きるか』に見た宮﨑駿の決意

 正直なところ、『君たちはどう生きるか』(2023年)は、説教をされるつもりで観に行った。基本的に説教されるのは嫌いだが、日本を代表する巨匠・宮﨑駿の最後の説教となれば、一度くらい経験するのはいいだろう。内容が分からないので、最悪、実写の宮﨑駿が出てきて、延々と「君たちはどう生きるか?」と語りかけて来るのではとすら思っていた……。ところがどっこい、観終わった後の印象はまるで違う。

 まず結論から言うと、説教という感覚はなかった。むしろ『君たちはどう生きるか』というタイトルながら、『俺はまだやれんのか』というニュアンスを強く感じ取った。本作は巨匠・宮﨑駿の自問自答エンターテインメントである。

 本作について語ることは難しい。内容が複雑なわけではなく、たとえば「驚愕のどんでん返しが……!」といった感じはまったくない。どちらかと言うと、せっかくここまで徹底的に情報を伏せたプロモーションが行われていること、そして、あらすじも何も知らない情報で観てほしいという気持ちが強い。そんなわけで詳しいあらすじは省くが……本作はファンタジー冒険活劇の皮を被りつつ、明らかに宮﨑駿自身の物語である。

 宮﨑駿は、これまでいくつもの世界を作り出してきた人物だ。ヨーロッパのようでヨーロッパじゃない不思議な土地、どこかにありそうで、しかしどこかは分からないトトロの住む日本の田舎、そしてトンネルの向こうにある不思議な異世界……。いくつもの魅力的な世界を、有り余る創作意欲と、抜群のセンスと技術でゼロから創り上げてきた。もちろん宮﨑駿と言えば、超高速のアクロバットなアクションシーンを組み立てることをはじめとして、いくつも武器を持っている。しかし私は、この「世界をゼロから創れる能力」が、宮﨑駿の最大の武器であるように思う。

 本作には、そんな「世界を創る」ことに関する重要なキャラクターが2人登場する。1人は世界を創って保ち続けてきた疲れた老人で、もう1人は世界を創る素質を持つ生命力あふれる少年だ。世界を創ることを創作だと捉えれば、これは創作に疲れた老人と、創作に触れた少年だと捉えられる。私には、この2人が宮﨑駿の分身に見えて仕方なかった。どちらも今の宮﨑駿の中にある存在なのだろうと。本作は宮﨑駿が引退を撤回して作った作品でもある。だらこそ、あの物語の決着には「俺はまだやれるのか!?(やりたいなぁ)」という葛藤があったように思う。比べるものではないと重々承知だが、LAメタルバンドの代表格、モトリー・クルーは、数年前に書いた引退宣言の契約書を爆破して復帰、今年は来日ライブも予定されている。モトリー・クルーほどの威勢の良さはないものの、宮﨑駿という“ものを作る人間”としての静かな決意が感じ取れる1本になっていた。

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