『日曜の夜ぐらいは...』が映し出す“家族愛”の素晴らしさと厄介さ 理想郷の幸せを願って
第9話終盤、みねは、全てが順調な彼女たちの唯一の不安要素が、若葉の母・まどか、サチの父・博嗣であることを指摘する。そして、彼女たちは家族だから、彼らに対して「それぞれの事情や歴史があって、冷たくできなかったり、いろいろある」だろうと気遣う。だからちゃんと彼らのことを「大切な人を傷つける存在は敵」なのだと言い切ることができる他人である自分が、彼女たちを守るとみねは言う。
それは、みねの優しさと強さを裏付ける言葉であると同時に、着実にハッピーエンドに向かっていると思われる、最終話を前にした本作における唯一の懸念事項の指摘であり、作品全体を貫く本質と言うべきものでもあった。そして何より、その場にいるサチたちというよりは、スタンガンという何やら物騒なものを手にする富士子の物語に直接関わってくる話でもあった。
富士子が幸田(生田智子)に託した嘘の住所のメモに導かれた先にある、富士子によって木の板に書かれた落書きを見て、騙されたとそれを叩くまどかの表情は、徒労に終わったわりにどこか楽しそうだった。なぜならその落書きが、以前まどかが家中の包丁を隠した際、彼女自身が付箋に書いて貼ったものと同じだったからだろう。富士子もまた、まどかが隠した包丁を1つずつ見つけていく行程を心なしか楽しんでいるように見えた。
2人は反目し合いながらも、まるでゲームか何かのように、いたずらの応酬を楽しまずにはいられない。時に、「幸田」の表札を蹴って、我に返ってまた戻すという富士子とまどかの、異なる場面における同一の行動が、似た者同士の一面を見せるように。幼い頃のまどかの話が、ふと富士子の口をついて出るように。全ては「親のせい、親のおかげ」というまどかの言葉ではないが、どんなに憎み合っていたとしても彼女たちは逃れようもなく親子なのである。だからこそ、富士子はスタンガンを取り寄せるしかなかったのではないか。そうしないと、断ち切れないから。何より、「家族を愛さずにはいられない」という自分自身の思いを。
かつて栄えた時代の記憶を「団地っこ」邦子の証言によって僅かながらに漂わせる寂れた団地を、現代の夢と希望が詰まった理想郷に変え、そこに住む人々が大きな家族になっていくかのような様子を描く本作は、そんな過酷な1人の母親の思いを時限爆弾のように内包したまま、「皆が幸せになる」未来へひた走っていく。さて、最終話は、一体どのように着地するのだろうか。岡田惠和脚本の真髄を目の当たりにしたい。
■放送情報
『日曜の夜ぐらいは...』
ABCテレビ・テレビ朝日系にて、毎週日曜22:00〜放送
出演:清野菜名、岸井ゆきの、生見愛瑠、岡山天音、川村壱馬(THE RAMPAGE)、やついいちろう(エレキコミック)、今立進(エレキコミック)、椿鬼奴、飛永翼(ラバーガール)、橋本じゅん、和久井映見、宮本信子ほか
脚本:岡田惠和
演出:新城毅彦、朝比奈陽子、高橋由妃、中村圭良
企画・プロデュース:清水一幸
プロデューサー 山崎宏太、山口正紘、郷田悠(FCC)、浅野澄美(FCC)
制作協力:FCC
制作著作:ABCテレビ
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