岡田准一主演映画『最後まで行く』の“奇妙さ”の正体 韓国オリジナル版からの変化とは?
日本版である本作では、さらに綾野剛演じる人物のバックストーリーを時間を割いて表現し、“砂漠のトカゲ”の挿話と重ねて強調することで、この対立構造を弱者と強者の関係ではなく、同じく荒廃した社会のなかでのたうち回る弱者同士の戦いという解釈に落ち着けているのが特徴だといえよう。この変更は、単純な二項対立を脱する効果がある一方で、社会における格差問題への焦点が曖昧になってしまっているところもあり、ある意味ではいかにも日本的な着地だといえなくもない。
それにしても原題でもある「最後まで行く」とは、よく言ったものだ。アカデミー賞作品賞を獲得した『パラサイト 半地下の家族』をはじめ、韓国映画の大きな特徴の一つというのが、“最後まで描ききる”といった、一種の粘着性にあるといえるからである。もちろん韓国の作品にもさまざまなテイストがあるが、例えば、ナ・ホンジン監督の『チェイサー』(2008年)に代表されるように、過激だったり目を背けたくなるようなシーンをこそ、逆に見どころとしてしまうのが、韓国映画の醍醐味となっているのは、周知のとおりである。
かつて日本映画も、戦中にプロパガンダをおこなった反省をベースに、実際の社会問題に切り込んでいく勢いが強かったといえる時期があった。しかし、現在は社会的なテーマを強く押し出すような作品は減少傾向にあるばかりか、同じく岡田准一主演の『永遠の0』(2013年)に代表されるように、戦前の価値観へと一部回帰するような動きすら感じられることがあった。本作を監督した藤井道人による『新聞記者』(2019年)は、そんな空気や状況へのカウンターとして機能していたように思われる。
そういった意味においては、エリートにせよ庶民的な人物にせよ、厳しい状況のなかに置かれたままの人々の利己的な行動が社会に混乱を生じさせているといった状況と、同時に韓国のオリジナル版よりもさらにねちっこさを投影させた、終盤の展開にみなぎる奇妙なパワーそのものに焦点を合わせていくラストシーンというのは、韓国映画の勢いを借りて、日本映画が持っていたバイタリティと社会的意義を取り戻そうとする試みだといえるのではないか。
そう考えていくと、本作が工藤という泥にまみれていくキャラクターと、舞台となる工場地域の景色に託したものとは、日本映画がもう一度地面に足をつけ、そこがぬかるみの中なのであれば、そのまま汚れたものを提出しなければならないという、現実の状況への率直な感情に根差した、然るべき問題意識だったのではないかと考えられる。
その意味では、近年の韓国映画の隆盛と、日本社会や日本映画の状況に対する、一種の焦燥感が色濃く反映した本作『最後まで行く』は、かなり興味深い作品だったといえるのではないか。そして同時に本作は、それ自体が今後の日本映画や社会が辿るべき、一つの精神的な関門を象徴しているのかもしれないのである。
■公開情報
『最後まで行く』
全国公開中
出演:岡田准一、綾野剛、広末涼子、磯村勇斗、駿河太郎、山中崇、黒羽麻璃央、駒木根隆介、山田真歩、清水くるみ、杉本哲太、柄本明
監督:藤井道人
脚本:平田研也、藤井道人
製作幹事:日活・WOWOW
制作プロダクション:ROBOT
配給:東宝
©2023映画「最後まで行く」製作委員会
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