赤楚衛二演じる貴司の短歌をいつまでも胸に 『舞いあがれ!』で担っていた“見出し”の役割
みんなの夢を乗せた空飛ぶクルマ「かささぎ」が、舞(福原遥)の操縦で五島の空を飛ぶ。去る3月31日に『舞いあがれ!』(NHK総合)の最終回が放送され、半年にわたる物語が結ばれた。このドラマの豊かな抒情性を支えていた要素のひとつに、短歌がある。舞の幼なじみで、のちに夫となる貴司(赤楚衛二)は、子どものころから人知れぬ生き辛さを抱えていたが、古本屋「デラシネ」の店主で詩人の八木(又吉直樹)に出会い、文学を知る。「言葉の翼」を身につけて息ができるようになった貴司は、やがて歌人になる。
劇中に登場した「貴司が詠んだ短歌」は、歌人の肩書をも持つ脚本家・桑原亮子氏の創作によるもので、ドラマ本編を「本文」とするならば、貴司の短歌はさながら「見出し」の役割を果たしていた。本稿ではこの短歌を手がかりに、『舞いあがれ!』が半年間、何を描いてきたのかを紐解いてみたい。
〈星たちの光あつめて 見えてきたこの道をいく 明日の僕は〉
星たちの光あつめて
見えてきたこの道をいく
明日の僕は#福原遥 #赤楚衛二 #山下美月 #乃木坂46 #朝ドラ #舞いあがれ #短歌 #貴司の短歌 pic.twitter.com/ywqzQxSo5W— 朝ドラ「舞いあがれ!」 (@asadora_bk_nhk) November 15, 2022
ブラック企業の社畜となり「干からびた犬」のようだった貴司が五島にたどり着き、生まれて初めて身体からこぼれ出たこの歌。貴司が光を「あつめ」た「星たち」とは、それまで彼が目を向けることを忘れていた「大切なもの」を意味するのではないだろうか。
他の誰でもない、貴司自身の命と存在価値。五島まで自分を探しに来てくれた幼なじみの舞と久留美(山下美月)や、東大阪で待っている父・勝(山口智充)と母・雪乃(くわばたりえ)などの、自分を愛し見守ってくれる人たちの思い。五島の海と空の「無限の青」からもらった、「目線を変えさえすれば、世界は喜びに満ちている」という気づき。あるいは、文学青年の貴司がたくさんの本から集めた「言葉の宝物」、いわば貴司が生きてきた「証」かもしれない。そういえば、『舞いあがれ!』というドラマも、「忘れかけていた大切なもの」を思い出させてくれる作品だった。
空にあこがれ、空でつながるこのドラマには「星」というモチーフがたびたび登場する。夜空に煌めく一等星もあれば、空の明るさに隠れた「昼間の星」もある。旅客機のパイロットのように一見「花形」の職業も、その陰には想像を絶する努力と試練がある。パイロットを支える縁の下の力持ち──キャビンクルー、管制官、整備士、グランドスタッフがいる。ひとつの機体を支える数万個の部品がある。東大阪の町工場に代表される、中小の製造業の技術がその中に活かされている。
他者とコミュニケーションを取ることが難しくて、都会の小学校に馴染めず、五島へ島留学に来ていた幼い頃の朝陽(又野暁仁)。星や宇宙に詳しい彼は「昼間の空にも星はある」と、舞と貴司に教える。貴司と舞は朝陽に、自分の気持ちをひとつずつ言葉にして書き出してみるように勧める。このドラマには、貴司や朝陽、そして舞の兄・悠人(横山裕)や久留美の父・佳晴(松尾諭)のように、「一般的な規範からは外れた」とされる人たちに注がれる温かい眼差しがあった。彼らが、彼ららしくいられる、「星たちの光あつめ」た場所があることを常に伝えていた。目に見える夜の星も、目に見えない昼間の星も、みんな等しく「星」なのだというメッセージがこめられていた。
〈トビウオが飛ぶとき 他の魚は知る 水の外にも世界があると〉
小学生のときに祖母・祥子(高畑淳子)との五島での暮らしを通じて、自立心と自信を身につけてからの舞は、常に自分で選択し、努力して、やりたいことを叶えてきた。「舞ちゃんががんばってるから、僕もがんばれる」。自分が知らない世界を教えてくれる舞に対して、貴司は親愛の情とともに、ある種「あこがれ」のような感情を抱いてきたのかもしれない。舞が航空学校で厳しい訓練を受けているときに、貴司が絵葉書に書いて送ったこの歌は、「幼なじみとして、あなたを誇りに思う。だからどうか、頑張って」という、心からの応援がこめられているように思える。そして舞もまた、この歌にずっと励まされ続けてきた。
「トビウオ」に象徴される、パイロットという職業。結局舞は、旅客機のパイロットにはならなかったが、ずっと広義の「パイロット」であり続けた。「IWAKURA」の優秀な営業部員として、「こんねくと」の社長として、「アビキル」の執行役員として、舵をとり、案内し、人と人をつなぎ続けた。向かい風の中、力強く新しい世界を進んだ。そして最終回では、「かささぎ」を操縦する文字通りのパイロットになっていた。
舞が博多エアラインの内定を辞退し、IWAKURAを支えるという選択をするかどうか迷っていたときに貴司は、「トビウオは水ん中おってもトビウオや」と言った。この言葉は、その後の舞の人生を“予言”している。どんなに回り道をしても、最初に思い描いた夢や理想から形は変わっても、前を向いて進む限りいつか願いは実現する。これも、本作が描いた重要なテーマだ。