【追悼・坂本龍一さん】『戦場のメリークリスマス』から始まった“対話する”映画音楽の歩み
晩年の坂本のサントラは、エフェクトをかけた楽器と生の楽器を複雑に絡み合わせて、作品によってはメロディー以上にサウンドを重視した。アンビエントなサウンドで映画の空気感を伝える音響的なサントラはこれまでにもあったが、トレント・レズナーとアッティカス・ロスが手掛けた『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)がアカデミー賞作曲・音楽賞を受賞したあたりから広まっていく。
スタジオワークを駆使する音響的サントラは、現代音楽やエレクトロニックミュージックを通過して生まれたものであり、テクノのオリジネイターである坂本がこうしたサントラにたどり着いたのは当然の成り行きだ。しかも、芸大で音楽教育を受けた坂本はオーケストラの作曲ができる強みもあった。近年、ジョニー・グリーンウッド、ブライス・デスナー(彼は『レヴェナント:蘇えりし者』のサントラに参加した)、ヨハン・ヨハンソン、マックス・リヒターなど、クラシックの教養を持ち、ロックや現代音楽の分野で活動していたミュージシャンが映画音楽に進出した時は、坂本の頼もしい後輩のように思えたりもした。
筆者が坂本に取材した際、坂本は映画音楽を制作する際には「映像が持っている時間を、いかに邪魔しないで音楽の時間を見出すか」ということを大切にしていると語ってくれた。その時の発言を少し引用しよう。
「映画の登場人物が規則的な動作をしていればテンポみたいなものが見えてくるけど、草原で風が吹いてやむ、というシーンにもテンポがあるわけです。でも、それは音楽的なテンポではない。そんな時にどういう音楽をつけたらいいのか。音楽はたいてい規則的なテンポがあるけれど、草原を風が吹いていく時に規則的なテンポをつけるのが正解なのか。僕はそれは邪魔だと思うんですよ」(※)
そして、尊敬するアンドレイ・タルコフスキー監督の映画を例に出しながら、映像にはすでに音楽が溢れているので最近は映像と対話しながら音楽を考えることが多い、と語った坂本は、映像に耳をすませる作曲家だった。だからこそ、大仰なメロディーで映画を盛り上げたり、観客の感情を誘導することを嫌った。観客が音楽が流れていることに気づかずに物語に入り込めることが、坂本にとって映画と音楽の最良の関係だった。映画『ベケット』(2021年)では、現代音楽を思わせるストリングスの不協和音を織り交ぜた音響的スコアで映画の不穏な空気を表現。『MINAMATA―ミナマター』(2021年)でも、生楽器とシンセで静謐としたサウンドを作り出していて、だからこそ、メインテーマでピアノが奏でるシンプルなメロディーが際立つ。音楽を映像のなかに溶け込ませる、という曲の作り方は、『戦場のメリークリスマス』とは大きく違う。そこに映画音楽作曲家としての坂本の成熟を感じさせた。
かつて、坂本は「監督が求める音を翻訳するのが作曲家の仕事」と語ったが、研ぎ澄まされた文体で、時に斬新な表現を使って鮮やかに翻訳した。6月には坂本がサントラを手掛けた映画『怪物』が公開される。残念ながら全曲を作曲できる体力がなく、既存曲から選んだ曲に書き下ろしのピアノ曲を2曲加えたという。その2曲は、どんなふうに映像と対話しているのだろう。映画館でその音色に、そして、映像に耳を傾けたい。
参照
※ https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25196?page=2