トム・ハンクスがベテラン俳優の妙味を醸し出す 『オットーという男』が描く“生きる意味”

 いつでも新たな企画を探しているアメリカ映画界が、海外の優れた作品をリメイクするケースは少なくない。近年は、フランス映画『エール!』(2014年)を、アメリカを舞台に、スタッフ、キャストを一新して作り直した『コーダ あいのうた』(2021年)がアカデミー賞作品賞に輝いたのは記憶に新しい。

 『オットーという男』は、スウェーデンの映画でアカデミー賞外国語映画賞(現・国際長編映画賞)にノミネートされた『幸せなひとりぼっち』(2015年)を、名優として名高いトム・ハンクスが製作、主演を務めてリメイクした作品。もともとは、映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』(2019年)の原作者でもあるフレデリック・バックマンのベストセラー小説が基となっている。その内容は、生きる理由や気力を失ってしまった老年の男性が、周囲の人間たちとの関係や、新たな出会いによって、人生の価値を再び見出すといったもので、黒澤明監督の『生きる』(1952年)を想起させるところがある。

 現代の映画としては、いささか地味な題材で、ある程度展開も予想できてしまうストーリーではあるが、それでも本作『オットーという男』は、現代の多くの観客にとって、観る価値のある作品に仕上がっていると感じられる。なぜなら本作は、この物語を通して“人はなぜ生きるのか”という、人々が追い求める問いに対し、納得できる一つの答えを提示しているからである。ここでは、そんな本作が示したものを考察していきいたい。

 トム・ハンクス演じる主人公は、長く勤めた工場の仕事を退職した気難しい男、オットー。彼は半年前、妻に先立たれたことで生きる意欲をなくし、彼女との思い出ある住まいの天井に縄を掛け、自分の人生を自ら終わらそうとしていた。しかし、近所に引っ越してきたマリソル(マリアナ・トレビーニョ)らメキシコからの移民の一家に対応することで、そのタイミングを逸することになる。めげずに色々な方法で命を断とうとするオットーだったが、マリソルはじめ近所の人々や、亡き妻を知る人物、野良猫などに邪魔され、彼の命は救われ続けていく。本作の物語の魅力は、そういったコメディ調の展開とハートウォーミングなドラマにある。

 多くの観客がおそらく予想するように、オットーはこのような他者との交流を通して、新たな生き甲斐を見つけるようになっていく。だが、そんな地味でシンプルな物語だからこそ、表現できるものもある。スペクタクルが連続するような大作映画は、いかに優れた美術スタッフが務めようとも、舞台が目まぐるしく変わることで、ひとつひとつの作中の仕事は見逃されがちになる。しかし、主人公の住まいが何度も映し出される本作では、観客もそこで何日かを過ごしているかのような気分にさせられ、作中の世界に没頭できるという利点があるのだ。

 巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督や黒澤明監督もまた、本作における、まるで日本の長家のように立ち並ぶ住宅が心に残るように、映画を象徴するような印象的な風景や舞台を、観客の脳内に刷り込んでいくような演出を意図していた。舞台があまり動かず、変化が少ない作品は、一見つまらないように思えるが、変化しないがゆえに、表現する世界をより詳細に映し出し、観客により作品への親しみを与えることができるのである。

 とはいえ、そういった作品で観客を楽しませるには、物語の展開や飽きさせない演出、リアリティある演技が必要になる。その意味で、親しみのあるキャラクターで主人公を演じてきた演技巧者のトム・ハンクスが、本作で“出ずっぱり”のオットー役を務めているのは、非常に効果的だといえよう。

 『キャスト・アウェイ』(2000年)で無生物との別れを情感たっぷりに表現したり、『ターミナル』(2004年)で祖国が崩壊する様を目にして立ちすくむ姿を披露して観客を涙させたような、「これぞオスカー俳優」という熱演が、トム・ハンクスのパブリックイメージといえる。だが、ここでの彼の演技は、観客を圧倒する気迫がこもったものというよりは、これまでの彼の持ち味を素直に表現したような、自然な抑制を感じるのである。それが、良い意味で“脂の抜けた”、ベテラン俳優の妙味をかえって醸し出している。

 それは本作の監督マーク・フォースターも同じなのではないか。『ネバーランド』(2004年)や『007/慰めの報酬』(2008年)など、派手なカメラワークでアクロバティックな映像表現を得意とする意欲的な面は、ここでは多くの場合切り落とされている。本作でVFXが使用されているのは、妻との日々を生きるオットーの過去の姿や、トム・ハンクスの息子であるトルーマン・ハンクス演じる、青年時代のオットーの回想シーンにおける、鏡面に反射する現在の姿などであり、こちらも抑制的なのである。こういったさりげなくこだわった演出は、過去作『ステイ』(2005年)などを想起させるところだ。

 そんなトム・ハンクスに対し、メキシコのコメディ俳優マリアナ・トレビーニョの情感豊かな表情、ボディランゲージを駆使した演技も見応えがある。こうした、派手ではないが地道で効果的なアンサンブルが機能することで、本作は多くの凡作にはない輝きを獲得しているのである。

関連記事