『女神の教室』山田裕貴が体現した藍井の変化 学生たちは柊木の問いにどう答える?

 ロースクール(法科大学院)を舞台に教員と法曹界を目指す学生たちの青春群像劇を描いた『女神の教室〜リーガル青春白書〜』(フジテレビ系)がついに最終回を迎える。

 主演の北川景子演じる裁判官ながらロースクールへの派遣教員に選ばれた柊木は「人を知り、その心に寄り添ってこそいい法律家になれる」という信念の下、実務を優先した授業を繰り広げる。その対極にいるのが、無駄を省き効率的な司法試験合格対策だけを最優先する天才教員・藍井(山田裕貴)だ。

 本作では、柊木との化学反応で成長していくのはロースクールの学生たちだけではない。省エネモードで超合理主義者の藍井が、今まで無駄で粗末だと切り捨ててきたものの中に、むしろ見逃してはならない一考の価値あるものが潜んでいることに気づき始める。他人の考えなどどうでもよかったという彼が、第10話では風見(尾上松也)が何を考えているか知りたくなってしまったと打ち明けるまでに人間味が滲み出していくその変化もまた見応えがある。

 藍井を演じる山田裕貴は、同じく教員役を務めた『ここは今から倫理です。』(NHK総合)での高柳とは全く異なる教師像を見せている。ローテンションで、他人のプライベートゾーンに土足で踏み入ることは決してしないところは似通っているものの、高校で倫理の授業を教える高柳は開口一番「倫理は学ばなくても将来、困ることはほぼない学問です」と言う。人の心や善悪という非常に曖昧で抽象的なものと対峙している分、常に誠実でいることを否応なしに求められるからこそずっと揺れ動いている。絶対的な存在としてではなく、生徒と一緒に悩み迷い、時に諦めかけては内省し続ける、それゆえ信頼に足る実直な教師像を見事体現した。悩める生徒に頭ごなしに正論や一般論を振りかざすことはなく、目の前にいる他でもない“あなた”自身がどう考えるのか、どう思っているのかに重きを置き、常に本人に考えさせるスタンスをとるのは、むしろ本作での柊木との共通点だろう。

 また、『先生を消す方程式。』(テレビ朝日系)では、本作同様教師と生徒の関係で高橋文哉と共演している。この時には山田はサイコパス教師・朝日役を演じ、高橋扮する学園一の優等生ながら裏ではクラスを掌握し自身の手を汚さない陰湿ないじめっ子・刀矢をうまくそそのかしては利用する、どこか共依存的な関係を不気味に見せてくれた。高橋は本作でも学生の中心的存在ながらどこか冷めたところを持った、実は掴みどころのない真中役を熱演している。察しのいい真中ゆえ、周囲が自分に抱いているであろうイメージや暗に寄せられている期待通りに振る舞おうとしてしまう自分にも疲れ、どこか自信のなさも垣間見える。そんな自身のダブルスタンダードなところに葛藤し、必死にもがいているさまがリアルだった。

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