濱田岳主演『探偵ロマンス』が追求した、“エンターテインメントとは何か”という問い
「作家としてデビューする前の江戸川乱歩(本名:平井太郎)が、探偵事務所で働こうと門戸を叩いた」
この、文字にすればたった数行の史実をもとに「知られざる江戸川乱歩誕生秘話」を描いたオリジナルドラマ『探偵ロマンス』(NHK総合)が最終回を迎えた。
不思議な作品だ。これぞ“乱歩ワールド”といった趣の、妖しげで幻想めいたトーンを主調に、ド派手なアクション、スリリングな銃撃戦、大正時代を生きる人々の「心の叫び」、泥臭く濃密な人間ドラマ、不意をつく「笑い」、祈りにも似た「人類愛」……などなど、実にたくさんの要素が詰め込まれている。そして、それらすべてのピースがぴたりとはまっている。
朝ドラ『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)のスタッフ・キャストが再集結して制作されるとあって、ドラマファンの間では放送前から期待値が高かったものの、予想外に「観たことのない世界」へといざなってくれる作品だった。そして「エンターテインメントとは何か」という問いを、とことん追求したドラマだった。
「真のエンターテインメントとは何か」
この命題を、小説家志望の、まだ何者でもない青年・平井太郎(濱田岳)の葛藤や煩悶に投影して描く。第1話、互いに思いを寄せ合う文通相手で、唯一の「読者」である隆子(石橋静河)が、頭でっかちで口ばかり達者な太郎に手紙で決定的な「ダメ出し」をする。
「今回の犯人、恐ろしいと思いました。せやけど、それだけでした。ただ人を殺すため、物語を進めるための装置としてしか、犯人を読むことができませんでした。私はもっと知りたい。殺人を犯す予定は今のところありゃせんけど、せやでこそ感じたいんです。わからへん。せやでこそ、知りたい」
登場人物を「記号」ではなく、きちんと「人間」として存在させる。どんなキャラクターであろうと、物語の中でちゃんと「生き」させる。その生き様が、受け手の胸ぐらを掴む勢いで迫ってきてこそ、はじめてフィクション(物語)は意味を持つ。エンターテインメントとはすなわち「人間を描く」ということなのかもしれない。
読者・視聴者・観客が自分では経験したことのない、だがしかし必ず人間の深部に内在する「何か」。それを「知りたい」という受け手の欲求に応えてこそ、エンターテインメントは成立する。小説家の卵である太郎には、まだその部分が欠けているのだ。
と、ここで、本作の制作陣が自らハードルを上げて、高みに挑んでいることに気づく。つまり隆子の手紙は、「このドラマは『人間』を描きます」という宣言でもあるわけだ。
かくして太郎は、この世の中で最も不可解な「人間」を知るべく、名探偵・白井三郎(草刈正雄)に弟子入りを志願する。「探偵の必須アイテム」として三郎が太郎に最初に授けたのが「メモ帳」。優れた探偵も、優れた小説家も、徹底的な聞き込み(取材)を大事にしなければならない。まずは他者の話に耳を傾けるところから、太郎の修行がはじまった。
「毒食らう覚悟があるなら着いてきな。探偵って夢が知りたいならな」
このドラマのテーマを暗喩したような三郎の台詞。エンターテインメントは夢である一方、毒にもなりうる。エンターテインメントが描こうとする「人間」というものは、美しくも醜い。強くも弱い。尊くも滑稽だ。
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」という、乱歩による有名な一節が劇中に何度も登場するが、本作には相反する2つの要素が常に存在する。清濁併せ呑むドラマ全体の世界観。主人公・太郎の、文学をこじらせた青年にありがちな「厭世的でありながら純粋」「達観したつもりの青二才」というアンビバレントな人物造形。太郎は、目の前に横たわる世知辛い現実と、自らが創作する「虚構の世界」の間をたゆたう。
「夢の中にいる」太郎と対になる存在として、地に足をつけて、いつでも凛としている隆子がいる。魔性の踊り子・お百(世古口凌)に夢中になる太郎に「ほんなら存分に悩んでください」と言い放つ潔さ。亡き姉・京子(石橋静河、2役)の幻影に苦しむ美摩子(松本若菜)に「美摩子さんは美摩子さんです。誰も誰かの代わりにはなれへんよって」と、迷いのない言葉をかける強さに、見惚れる。
自分とは真逆でリアリストの新聞記者・潤二(森本慎太郎)と太郎は、初めのうちは反目し合っていたが、最終話では盟友になっている。小説と報道、どちらも扱いようによっては人を悪しき方向に導く「毒」になりうる。進む道は違えど、互いに目を凝らして「真実」を書いていこうと誓い合う2人の姿が熱かった。