日本アニメーションに到来した“作家の時代” 2022年を振り返るアニメ評論家座談会

新海誠監督の作家性

ーーそうした「作家の時代」のなかで、大ヒットを記録している新海誠監督の『すずめの戸締まり』はその最たるものですよね。ただ、今作は観客による賛否を綺麗に二分しているような印象があります。その理由はどこにあるのでしょうか?

藤津:僕、新海さんは前2作と比べてフォームを変えてきたと感じました。例えば、RADWIMPSの楽曲をあまり使わないし、タイムラプス的な描写もいわゆるMV的な演出には用いない。シナリオ構成も、前2作は綺麗な3幕構成でエピソードが配置されていますが、今回は第1幕にある日常を描きつつ物語のセッティングをする部分が短くて、グイグイと話を進めていく形になっている。また3幕構成というよりも2部構成で前半と後半で映画のトーンが完全に変わるところが強調されていた。おそらくそれでも観客は付いてきてくれるだろうというところを見極めていて、自分の語り口に自信があるからこそ上の冒険的構成だったと感じています。

『すずめの戸締まり』©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会

渡邉:『すずめの戸締まり』は、第1印象では前2作に比べてすごくウェルメイドな“エンタメ大作”になったなという感じがしました。前2作は演出面でも主題面でもすごくチャレンジングな要素が多かったと思います。『君の名は。』はもちろん以後の音楽アニメに影響を与えたMV的な演出だったり『天気の子』では「良識派」を怒らせるような尖ったメッセージがありました。そういった要素は、今回はかなり抑え気味だった気がします。もちろん、物語に出てくる震災や天皇といったモチーフに多くの観客が反応しSNSで議論が沸騰していました。とはいえ、あれらも以前から新海監督が関心を持っていた過去作のテーマからの反復ですし、作家の側からの明らかな撒き餌として見るべきだと私は思いました。むしろそういう要素も「エンタメ」として取り込んで面白く見せようとしている。「災害3部作」と言われるような、この方向性の作品ではもう突き詰めた感じがしています。

杉本:そのお話を受けて思ったのですが、前2作は“面白いエンタメを作る”が第一の目的で、その目的のために世の人の関心があるものとして自然災害という題材を手段として持ってきたように感じます。しかし、今回は手段と目的を入れ替えて、東日本大震災のことを描いて伝えるという目的のために、わかりやすいエンタメという手段を用いた。そういうふうに私には映りました。タイムラプス的表現などの要素は、その目的のために特に必要としなかったので出てこなかったのかもしれませんね。

渡邉:土居伸彰さんは『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書刊)で新海監督を「国民的作家」と呼びましたが、確かに興行的にも批評的にも、新海監督は「その作家だからそのアニメを観る」と誰もが思うような「大文字の作家」の最後の1人になる感じがします。

杉本:渡邉さんは『文學界』(文藝春秋)で、本作について“国民の物語”という文脈で原稿を書かれていましたが、今作で新海監督は“国民的作家”になったと考えておられますか?(※)

渡邉:何を持って「国民的」と形容するかだとは思いますが、時代がもつある本質を背負い、なおかつ興行的・批評的にも圧倒的な成果を挙げている作家を仮にそう呼ぶとすると、やっぱり“国民的”と冠せられるようなクリエイターになる方だとは思います(『文學界』1月号の「『すずめの戸締まり』論」でも論じました)。ただ、“国民的”というと、しばしばナショナリズムとの関係性で語られると思うんですけれども、新海誠監督は、“括弧付きの国民性”と言うんですかね、「国民的なアニメ作家が存在し得ない時代に、逆説的にある種の国民性を体現している作家」として捉えるのが適切です。そのあたりがかつての司馬遼太郎や宮崎駿とは違う。ある種のシニシズムも含めて、彼を“国民的な作家”とあえて名づけることで、見えてくるものがあるのではないかと考えています。

『すずめの戸締まり』©︎2022「すずめの戸締まり」製作委員会

藤津:その上で新海監督はこれから何を作るのか。新海さんはロンドンに留学をした際に『星を追う子ども』を仕込んでいたので、そのころの経験がどこかで作品に出てきたら面白いなと思っています。あるいは、これまでの3部作は、どうしても過去の作品を「今ならこうやる」みたいな感じで作っている部分も見受けられます。例えば『すずめの戸締まり』の場合は『星を追う子ども』を思い出させるところがある。そうすると、多分次は『言の葉の庭』『秒速5センチメートル』みたいな、規模は大きくないけれど作り込まれた物語が来る可能性もある。

杉本:その可能性はありますね。

藤津:もしくは、新海さんが自身の経験として、外国人との出会いについてよくお話されているので、自分の知っているコミュニティではないところから来た人とどう関わりを持つかがテーマとしてあるかもしれない。それがSFという形で描かれるのか、あるいは半径5mの話で描かれるのかはわからないですが、そうしたものを私は観てみたいですね。

『THE FIRST SLAM DUNK』の異質さ

ーー作家性というところでは『THE FIRST SLAM DUNK』もある種の作家性が爆発した作品でしたよね。

藤津:原作者の井上雄彦先生が監督をすることでしか制作できなかった映画だと思うので、そういう意味では“ひっくり返った作家性”というか、制作会社である東映アニメーションの色よりも、原作サイド主導でありながら作家主義的なものが前面に出た「謎のアニメ映画」というところですよね。

杉本:漫画原作をその原作者自身が監督したことで作家性がとても強い作品になったわけですね。あとは3DCGアニメの表現として一皮むけた作品と言っていいんでしょうね。多分、バスケのあのリアルな描写はCGでないと無理だし、もっと言うと、実写映画でも無理ですよね。俳優にあの動きをやらせるのって無理じゃないですか。そういう意味では、CGアニメーションじゃないとできなかった表現という点でエポックメイキングだと思います。

藤津:ルックの作り方が原作のカラーイラストを動かすという考え方ですが、同じ東映アニメーションの『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』も完全に原作のカラーイラストの雰囲気で3DCGアニメをやっているんですよね。ただ鳥山明さんの作品はゲーム化もされていて、『ドラゴンボール』の世界のキャラクターの3Dもある程度ノウハウが溜まっているとは思います。そうした例が先行してあるから、それも含めて良い試みだったと思います。それに対して『SLAM DUNK』はそういう先行例が少ない中での挑戦だった。井上先生のメイキング本(『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』)を見ると、3DCGにさらに手作業で修正を加えているんですよね。

『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』©︎バード・スタジオ/集英社 ©︎「2022 ドラゴンボール超」製作委員会

杉本:アメリカの『スパイダーマン:スパイダーバース』(以下『スパイダーバース』)がほとんど同じようなアプローチですよね。あれは3DCGで作ったベースに、ほとんど1フレームごとに手作業で描き加えていったことで、アメコミの絵が動いたような見た目を作っています。今回も漫画のような見た目の絵をCGで動かすために、似たようなアプローチをとった。なのでやっぱりCGアニメーションで手描きの味を再現するには、手で描くのがいいということですね。なので、3DCGアニメと言われているのですが、実は「手描きとのハイブリッドアニメーション」と言った方が実態に近い気がします。

藤津:ただ『スパイダーバース』はいろんな新しい技術が使われていて、モニター上に手で描き込むと、その絵に合わせて立体が変化したり、モデルを動かすと手で描いたものが変形するということやっています。『THE FIRST SLAM DUNK』も新しい技術は使っていると思いますが、どういう形でどの程度かはまだわからなくて、ムックを見るとかなり人海戦術の印象もあり、これは大変だったろうなと。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PV 30秒 【絶賛上映中】

杉本:『THE FIRST SLAM DUNK』を観た漫画家さんたちで「これで自分の絵を動かしてくれたらいいな」と思った人は多いかもしれません。さらに、これから原作出版サイドからも「『THE FIRST SLAM DUNK』みたいにやってくれないか」と言われることが増えるかもしれない。ただ、それをやれるリソースのある会社はなかなかないでしょうけど。

藤津:あと、井上先生がかなりの画力の持ち主で、絵も3DCGと相性がいいタイプというのがまず大前提にありますよね。ただこれが一般化できることかというと、原作者が監督としてここまでさまざまな指摘を入れるような仕事をアニメーターがやりたいと思うかという点でも、結構ハードルが高いと思うんですよね。

『THE FIRST SLAM DUNK』は3DCGアニメのメルクマールに 恐るべき“心理的な時間感覚”

映画『THE FIRST SLAM DUNK』のオープニングシークエンスは、同作のコンセプトをわかりやすく表している。  サラ…

渡邉:物語の作りに関していうと、90年代の物語を現代に合わせてうまくアップデートしているところも注目されます。原作は体育会系のかなりホモソーシャルなノリですが、それを宮城リョータの「親子の物語」、それもシングルマザーの母と妹の「女性たちの物語」を前面に出すことで、現代のジェンダー論的な批評にも対応しているように感じます。今だと若干ハラスメントに抵触しそうな描写も的確にカットされていますし。ともあれ、原作の細部やディテールをガンガン切って、シンプルに「試合の話」と「親子の話」が古典的映画の並行モンタージュ風にパッケージングされたことで、観客のカタルシスを最大限に引き出す作りになったと思います。どうやらもともとは山王戦の試合のシーンだけの作りだったそうで、それはそれでまた観てみたいですが(笑)。

藤津:そうなるともはや試合中継ですね。アナウンサーの豆知識とかも入りそうな(笑)。試合のシーンだけでもスペクタクルとして見せ物になったと思うくらい、本当にすごかった。ただ、私は一応『SLAM DUNK』のストーリーを知っているから感動するけど、原作を知らない人はやはり宮城リョータの話があるからこそ感動する1本の映画として観られる感じはありますね。

杉本:本作には、アスリートのプレーの一つ一つには人生の積み重ねがあるという強い説得力を感じましたね。これからスポーツを観るときの目線が変わるというか、一つ一つのプレーにもっと感動できるようになると思います。

渡邉:しかも、音楽の使い方がとても上手でした。

杉本:使うタイミングが抜群に上手かったですね。

渡邉:それこそ『君の名は。』などの音楽の使い方と似ていて、やはり音楽はとても重要な要素だと思います。

藤津:後半に歌をかけることを想定して、序盤は劇伴が薄めなんですよね。その代わり、体育館の中の音とかを聞かせるなど演出が行き届いてて、すべてが効果を発揮していると思いました。

杉本:本当に革命的な作品になったと思っています。ただ、このレベルの原作の絵柄の再現をいろんな原作者から求められたら、アニメ業界は死んでしまいますよね。

藤津:まあ今回大変だったと思うのですが、試合に出ている選手は10人で、他の人物を入れてもCGモデルは20体余りなんですよね。モブは基本的に作画ですよね。なので、題材がバスケットボールでよかったという側面もあって。例えばサッカーだったら11人×2チームで22体必要みたいな話になってくる。さらに作品のルックも、試合中だし、原作のカラーイラストを想定してるからそこまで照明を使った演出はしていない。実は『SLAM DUNK』だから気にならなかったけれど、同じことを別の作品でやろうとすると、このあたりが落とし穴になってくる可能性はあります。そういう意味でも唯一無二な作り方をした作品という印象です。

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