小栗旬が演じた北条義時の名を決して忘れない 『鎌倉殿の13人』義時が最後に信じた“光”

 伊豆の片田舎で明るく楽しく暮らしていた豪族の次男坊が、なぜ修羅の道を歩むことになったのかーー。

 2022年のNHK大河ドラマの舞台は平安末期から鎌倉時代。主人公はのちの鎌倉幕府二代目執権・北条義時だ。北条義時……『鎌倉殿の13人』放送の前にこの名を聞いて、歴史上どんな役割を果たした人物なのか即座に語れる人はどのくらいいただろうか。

 が、全48回のオンエアを終えた今、稀代の脚本家・三谷幸喜が描いた北条義時(小栗旬)の人生は私たちの脳裏に、そして心の奥に深く刻みつけられた。これは野心も権力への憧れすらも抱かなかった明るく純朴な青年が、ひとりの男との出会いによって政治と謀殺の渦へと投げ込まれた物語である。

 義時の運命に多大な影響を与えた人物、それはいうまでもなく鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝(大泉洋)。もともと頼朝は北条家の長男・宗時(片岡愛之助)が自宅にかくまうために連れてきた客人だった。そのなんともいえない愛嬌をたたえた客人とミーハー気質の長女・政子(小池栄子)が結ばれたことで、義時の運命が動き始める。

 義時の目から最初に光が消えたのは、頼朝の配下・上総広常(佐藤浩市)が謀殺された日(第15回「足固めの儀式」)。頼朝が御家人たちへの見せしめとして広常を暗殺することを知っていながらそれを防げず、広常の無残な死体を前に涙で腫れた目で頼朝に忠誠を誓ったその時から義時は修羅の道へと一歩を踏み出す。

 頼朝の死後、二代目将軍・源頼家(金子大地)の世になってからも、さまざまな人々が闇へと葬られていった。だがこの頃、義時の心の芯にまだあったのは「兄が目指した坂東武者の世を作るためには必要なこと」との大義名分だったと思う。義時にとって北条の世を作ることこそが、鎌倉を安定させ、無益な戦いをなくす絶対条件だったからである。が、その大義名分が崩れたのが坂東武者の鑑と謳われた畠山重忠(中川大志)を理不尽な理由で討たねばならなくなった時(第36回「武士の鑑」)。

 義母・りく(宮沢りえ)の筋違いの恨みで父・北条時政(坂東彌十郎)が動き、罪もないのに謀反人とされた重忠。重忠を生かすため、総大将の名乗りを上げて先陣を切る義時だったが、馬上での一騎討ちから泥の中に転落。そこでの斬り合いで、重忠は確実に義時を討ち取るチャンスがあったにもかかわらず、倒れた義時の左頬すぐ横に刀を突き刺してふらふらと歩き出す。そして死ぬ。

 おそらく、重忠の刀を頬の横に刺されたその瞬間、義時はいったん死んだのだ。それまでどんな謀殺も正しいことを為すためには必要だと信じて……信じようとして手を汚してきた彼は、重忠の圧倒的な“正しさ”を目の当たりにしたその時に己の中に渦巻く深く暗い闇に気づいてしまった。もう後戻りはできない。

 愛し尊敬してきた父親を鎌倉から追放した義時は黒衣をまとい、鎌倉幕府二代目執権として迷うことなく邪魔者たちを消していく。幼い頃からともに歩んできた和田義盛(横田栄司)や甥の阿野時元(森優作)を葬り、実の妹の実衣(宮澤エマ)の首すらはねようと一旦は決を下す。

 深く暗い闇の中に落ちた義時が最後に信じたものとは何だったのか。それは“光”である。その“光”こそが義時の息子・泰時(坂口健太郎)だ。

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