『ケイコ 目を澄ませて』インタビュー

三宅唱×岸井ゆきの「気持ちのいい映画」のために “目を澄ませて”見えた新境地

 三宅唱監督待望の新作映画『ケイコ 目を澄ませて』(12月16日公開)は、間違いなく今後「残る」であろう傑作だ。けれども本作は、今だからこそ観てもらいたい――「コロナ禍」の記憶が生々しく残る今だからこそ、きっと感じるところの多い一本でもあるのだ。

 マスク生活を余儀なくされたこの世界の片隅で、自らの進退について思いを巡らせるひとりのボクサーがいる。彼女の名は「ケイコ」。いわゆる「コロナ禍」は、やがて彼女が通うボクシングジムの存続も危うくする。彼女の気持ちの「波」と、まわりの人々の気持ちの「波」。そして、それらを覆う「コロナ禍」という大きな「波」。その3つの「波」の中で、耳の聞こえない「ケイコ」は、じっと目を澄ます。三宅監督と「ケイコ」を演じた岸井ゆきのに話を聞いた。(麦倉正樹)

「変わり続けている状況にあることが大事」

――本作の企画は、もともと岸井さんありきで動き始めた企画とのことですが、「耳の聞こえないボクサー」役を演じることに、迷うところはなかったのでしょうか?

岸井ゆきの(以下、岸井):迷う余地はなかったんですけど、正直不安ではありました。

ーー岸井さんが三宅さんと最初に会ったときは?

岸井:最初にお会いした時は関係者の方々がいらしてものすごい緊張感のある打ち合わせだったので、かなり緊張したことを覚えています。

三宅唱(以下、三宅):そうだったんですね(笑)。

岸井:はい(笑)。一応、お顔とかは把握していたんですけど、実際会ってみると、監督、めちゃめちゃ身長が高いじゃないですか。

――確かに(笑)。

岸井:ただ、そのあとすぐ、ボクシングの練習を一緒に始めて。そこで、監督の人となりを知ると言いますか、ボクシングを通じて、いろいろコミュニケーションを取りながら、これまで観てきた映画の話とかをたくさんして。ものすごい映画が好きっていうのが、すぐにわかったので。

――岸井さんにも、映画に対しては、並々ならぬ思いがあるんですよね?

岸井:そうなんですけど、映画監督って、必ずしも映画を観ることを愛している人ばかりではないじゃないですか。監督にも、いろんな人がいるので。だから、撮影が始まる前に、監督と映画のことをたくさん話せたのは感激しましたし、すごく楽しくて。やっぱり最初は、自分で恐怖心を大きくしていたというか、不安だけが大きくなっていたところがあったんですけど、やるべきことが決まっていったら、そこで何をやればいいかもわかってくるので、そこからは恐怖心というよりも、「この人たちと一緒に、何ができるだろう?」って、ポジティブに考えられるようになっていきました。

――今の話にもあったように、この企画の話が三宅監督のところにきたのは、少し時間差があって……そこでちょっと、考える時間をもらったとか?

三宅:そうですね。お引き受けすると決断するまで、かなり時間をいただきました。自分に何ができるかを考えたかったんです。「自分」というのは、ボクシングについて何も知らない「自分」であり、生まれつき耳が聞こえる「自分」、また男として育った「自分」であり……そんな「自分」に何ができるか、何ができないか、何をしてはいけないか、何をすべきか、その辺りを検討するためにはまずはとにかく、調べものをする必要がありました。簡単には引き受けられない企画だと思ったので、少し時間をいただきました。

――その時間の中で三宅監督は、どんなことを考えたのでしょう?

三宅:いろいろとありますが、いちばん大きいのは、今回の主人公のモデルになった小笠原恵子さんに、とことん惹かれ、感銘を受けたことです。僕と小笠原さんは、同年代ではあるけれど、生まれ育った場所や境遇なども違いますので、最初こそ、そうした「違い」が気になったんですが、徐々に、そういう「違い」とは関係なく、さっき岸井さんが言ったことを引き継ぐなら、監督にもいろんな監督がいるように、ボクサーにもいろんなタイプの人がいるし、ろう者にもいろんな方がいるという、考えてみれば当たり前のことを掴んでいきました。最終的には、そういう何か大きなカテゴライズに囚われることなく、他の誰とも違う「個」を発見できた気がします――大きなカテゴライズで分けるのは、多分自分とは遠いから、つい分けてしまうんだと思うんです。

――確かに、そうかもしれないです。

三宅:まあ、第一印象とか先入観が変わっていく、というのは面白いことですよね。「怖い人」で終わらなくてよかったです。

岸井:ふふふ(笑)。

――ただそこで、いわゆる「実録もの」のように描くのではなく、小笠原さんをモデルとしつつも、その舞台となる年代や場所も含めて、かなり大胆な設定変更をされましたよね。

三宅:仮に「実録もの」のような再現ドラマを目指すとすると、例えばものすごく過去のものであれば気にならないと思いますが、小笠原さんの人生は今も続いていて、近過去を再現するとなると、小さな違いが気になってしまいそうだとも考えました。時代を完璧に再現したり、本人に「似せる」ことにクリエイティビティを発揮するよりも、そうではなく小笠原さんの「魂」のようなもの、もっと簡単に言えば、彼女の「カッコ良さ」とか、人生に立ち向かっていく「態度」が伝わることが最も重要なので、それを最大限表現できるように、敢えて環境や人間関係や境遇も新たな物語として立ち上げることで、それによって「似る/似ない」という問題などから離れて、集中すべきことに集中できたような気がします。このあたりは、演じる岸井さんへのリスペクトでもあり、モデルとしての小笠原さん本人へのリスペクトにもなるかなと。僕の勝手な考えだとも思いますが。

――そうやって、三宅監督が新しく作り上げたプロットに対して、岸井さんは、どんな感想を持ったのでしょう?

岸井:いちばん最初は台本もなかったし、三宅さんが監督することに決まってからも、「まだ書き直すから」って、ずっと言われていたので、そのままトレーニングが始まって、ボクシングの練習中に、新しい脚本が書き上がって。で、私は「ケイコ」なので「ケイコ」を通して台本を読むんですけど、その段階では、もうほとんど「ケイコ」になっていたんです。ボクシングと手話の練習を積み重ねて、そういう状態になっていた頃に、新しい台本をいただいて。「わかる」と思いました(笑)。その行間みたいなものもすごいわかるし、そこで動いているケイコが見えるような気がして。ただ実は、コロナ禍の時代にするのは、最初どうなんだろうって思ったところがあって。

三宅:あ、そうだったんですね?

岸井:最初はそう思っていたんですよね。やっぱりマスクをしながらの演技はすごく難しいので、そこにちょっと不安があって。ただ、その新しい台本を読んで、むしろそこが重要なんだって思ったんです。マスクで芝居をする云々ではなく、今そういう状態にあるというか、そうやって変わり続けている状況にあることが、この映画にとってはすごく大事なんだなっていう。

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