『PICU』で知る、厳しすぎる医療の現実 吉沢亮が問いかける“正しいとは何なのか”

 11月は七五三の時期だ。3歳、5歳、7歳の節目に子どもの成長に感謝して、お祝いする。なかでも、7歳は“神様の子”から“現世の人間”となる歳として考えられていたそう。それだけ子どもの命は、地上よりも空のほうが近いと言えるかもしれない。だからこそ、抗いたい。過酷な運命に立ち向かい、1人でも多く子どもの命を救いたい。そう願い、情熱を燃やす若き医師、“しこちゃん先生”こと志子田武四郎(吉沢亮)の奮闘を描く月9ドラマ『PICU 小児集中治療室』(フジテレビ系/以下『PICU』)に毎話泣かされている。

正しいとは何なのかを問いかける、厳しすぎる医療の現実

 『PICU』では、初回からヒリヒリとした厳しい現実が描かれる。しこちゃん先生は、小児科医として子どもたちに接してきたものの、PICUでは医師の頭数にも数えてもらえないほどの若手。重症の急患が運び込まれても、右往左往するばかりだ。

 看護師・羽生仁子(高梨臨)には「使えない」と言われ、救急救命医の綿貫りさ(木村文乃)には「向いていない」と言われ……。それでも、PICUの整備を各地で手掛けてきた医師・植野元(安田顕)の見据える、地域格差のない小児集中医療への熱い気持ちに共感し、なんとか食らいついていくのだ。

 しかし、PICUのあり方そのものに厳しい眼差しで見つめる人も。同じ志を持つはずの医師たちから「知事の票集めではないのか」「PICUにかかる予算を各地の医院に分配することで、もっと助かるのではないのか」と責められる場面も描かれる。

 さらに、医療現場でも治療方針で何が正しいのかと問われる。合唱を頑張っていた少女に、もう歌えないかもしれないという真実を伝えるべきか否か。患者が子どもだからといって、本当の保護者の意見だけを聞いて、本人に嘘をついたまま治療を決めていいのか、と。本人に「本当のことを教えて」と懇願されたこともあり、しこちゃん先生は真実を伝えるも、ショックを受けた少女は衝動的に「死にたい」とパニックに陥ってしまうのだ。

 命を救いたい。その願いはみんな同じはずなのに、その方法で食い違う。どの方法も間違ってはいない。けれど、どのやり方でも「もっといい方法があったのではないか」と何かしらの悔いは残るもの。だからこそ、医療の現場は訴訟にもなりやすい。後々面倒なことになるのなら、なるべく危ない橋は渡らない。そんな判断をせざるを得ないのも、また医療現場のリアルだ。

子どものように純粋な、しこちゃん先生の熱意に涙

 しかし、しこちゃん先生は決して事なかれ主義に飲まれたりはしない。どんなに打ちのめされても、周囲のベテラン医師たちに呆れられても、しつこく青臭く患者と向き合う。それは、見方を変えれば子ども心に近い気持ちを持った大人であり続けられるという強みでもあった。

 心臓移植を「子どもが死ぬのを待つみたいで嫌だ」と拒んでいた12歳の少年には、行けなかった修学旅行を治療計画として提案する。たしかに心臓移植は自分よりも大変な状況にあった子どもの死をもって成立するもの。そう思うと心優しい少年は、なかなか移植を前向きには考えられないと語るのだった。

 だが、少年にはまだ生きることができるチャンスがあるのだということ。そして、そのチャンスの先にはやりたかったことが叶う無限の可能性が待っているということ。それを修学旅行の再現で伝えようと、しこちゃん先生は考える。

 薬を出したり、手術をしたり、医療行為だけではケアできないものがある。子どもたちに視線を合わせ、口のそばまで耳を近づけていく。物語が進むにつれて、しこちゃん先生は自分の正しさだけで突っ走ることなく、周囲と協力して治療を進めていく。そんな小児科医としての成長ぶりに、そして彼の純粋な想いに傷ついた心を開いていく子どもたちの笑顔に、目頭が熱くなるのだ。

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