『バルド、偽りの記録と一握りの真実』はアレハンドロ・G・イニャリトゥによる『8 1/2』か

『バルド』はイニャリトゥ版『8 1/2』

 『アモーレス・ペロス』(2000年)で鮮烈な長編デビューを果たし、アカデミー賞作品賞を受賞した『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 (2014年)や、レオナルド・ディカプリオを主演に迎えた『レヴェナント:蘇えりし者』(2015年)など、数多くのパワフルでアーティスティックな作風の映画作品で世界を魅了してきた、映画監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。そんな彼がデビュー作以来、22年ぶりに故郷のメキシコで撮影したのが、『バルド、偽りの記録と一握りの真実』である。

 Netflixで12月に配信予定の本作は、映画館で先行公開中だ。これは、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021年)や『The Hand of God』(2021年)など、著名な監督による力の入った大作の公開形式と同様である。これは、映画館のスクリーンで観てほしいという願望とともに、劇場で公開したという既成事実を作る、賞レースのレギュレーションに対応した措置でもある。そのおかげでわれわれ観客は、劇場の環境で力作を楽しめる機会に恵まれるということになる。

バルド、偽りの記録と一握りの真実
Limbo Films, S. De R.L. de C.V. Courtesy of Netflix

 メキシコの広大な荒野を、超人的な跳躍で浮遊するように進んでいく、スーツ姿の男……。巨匠フェデリコ・フェリーニ監督が、自身を主演のマルチェロ・マストロヤンニに投影し、現実的な事柄と幻想的な要素を交錯させた自伝的なファンタジー『8 1/2』(1963年)のオープニングを想起させられるシーンから、本作『バルド、偽りの記録と一握りの真実』の物語は幕を開ける。

 フェリーニの映画を愛する観客ならば、誰もが類似性を認めざるを得ないように、イニャリトゥ監督はここで、自分なりの『8 1/2』を見せていく……少なくとも、そのように受け取られることを承知の上で、このシーンを配置していることは間違いはずだ。主人公シルベリオ・ガマ(ダニエル・ヒメネス・カチョ)が、ジャーナリストであると同時に、フィクショナルな演出を交えたドキュメンタリー映画作家であるという設定自体が、まさに虚構と一握りの真実が入り混じる、本作そのものの内容を暗示しているといえよう。

バルド、偽りの記録と一握りの真実
SeoJu Park/Netflix © 2022

 監督の自伝的映画をそれなりの予算で撮るなどという企画は、とりわけ現代において、通ることは絶望的に難しい。だが、Netflix作品『ROMA/ローマ』(2018年)が多くの賞を受賞し、悲願のアカデミー賞作品賞は逃しながらも、監督賞、撮影賞、外国語映画賞を受賞することになったことを考えると、本作を含め『The Hand of God』など、有名監督のアーティスティックな自伝的作品が、ブランドとしての価値を高めたいNetflixにとって最も勝機があると考えられているところがあるといえるのではないか。そんな事情によって、いまこのような途方もない映画が撮られ、観客が楽しめるというのは、映画監督と映画ファンにとって僥倖だといえよう。

 メキシコからアメリカに渡って地位を高めてきた、本作の主人公シルベリオは、普段は家族とともにアメリカで暮らしていて、久しぶりに里帰りをすることとなる。だが、彼の見るものは、現実の出来事のようでありながら、奇妙な幻想も入り混じってくる。時間の流れは混乱し、あり得ない光景が目前に広がることもある。

バルド、偽りの記録と一握りの真実
Limbo Films, S. De R.L. de C.V. Courtesy of Netflix

 シルベリオという人間に、やはりイニャリトゥ監督の要素が最も色濃く反映しているように感じられるのは、メキシコとアメリカをまたぐ存在として、さまざまな葛藤を感じている部分だ。アメリカでは、成功しながらも人種差別を受けているという実感を覚え、メキシコの古い知り合いたちからは羨望とともに、気取ってもったいぶった映画を撮っているなどと言われ、嫉妬の感情をぶつけられる。そしてメキシコの市民たちからは、輝かしい移民の代表として歓迎されつつも、裕福なアメリカ人のようにリベラル思想に傾いた特権階級だと内心思われている……。少なくとも、シルベリオ本人はそのように感じているのである。

 つまりはそれが、イニャリトゥ監督が思う、“他人から見た自分の姿”なのだと考えられる。もちろん本作の登場人物たちのように、直接的な感情を実際にイニャリトゥ監督に投げかけてくる人間は、現実にはほとんどいないだろう。だが本作では、リアリティを一部で排除して、人々が正直に感情を吐露してくるという、あり得ない場面を設定しているのだ。虚構であるからこそ、逆に監督が考える“真実”を語ることができる。一方で、シルベリオが経験した本当に悲しい思い出が、別のかたちでファンタジックに表現し直されている部分もある。

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