『ジェラール・フィリップ 最後の冬』監督が語る映画史の“もしも” 50年代を回顧する意義

『ジェラール・フィリップ』監督インタビュー

 1922年にフランス・カンヌで生まれ、1959年に36歳という若さでこの世を去ったジェラール・フィリップ。映画『肉体の悪魔』に出演し、25歳で瞬く間にスターに。1952年の『花咲ける騎士道』で世界中にその名を知らしめた。

 そんなフィリップの生誕100年を記念して制作されたドキュメンタリー映画『ジェラール・フィリップ 最後の冬』が、11月25日より公開中だ。

 リアルサウンド映画部では、本作を手がけたパトリック・ジュディ監督にインタビュー。「ヌーヴェルヴァーグの到来によって一掃されてしまった」という1950年代のフランス映画界のスターを現代に蘇らせた理由を聞いた。

ジェラール・フィリップがあと10年長く生きていたら

――ジェラール・フィリップについてドキュメンタリーを撮ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

パトリック・ジュディ(以下、ジュディ):この映画の原作としてもクレジットしている、ジェローム・ガルサンの本(『ジェラール・フィリップ 最後の冬』)に出会ったのがきっかけです。ジェラールは、フランスでも知る人ぞ知る俳優で、若い人にはあまり知名度が高くない、忘れられたスターでした。原作者のガルサンは、ジェラールの娘の夫にあたり、妻からジェラールのことをよく聞いていたようです。私たちの世代は、思春期には『花咲ける騎士道』に夢中になりましたし、大人になってからは『輪舞 (ラ・ロンド)』やロジェ・ヴァディム、ルネ・クレールの作品に親しんできました。私はガルサンの本を通して、ジェラールの持つ両義性や、模範的なスターとして知られる彼の内面に触れていく中で、自分の記憶が呼び覚まされていくのを感じたのです。

――ドキュメンタリーであれば、単にフィリップの功績を称える構成にもできたと思いますが、本作からは「彼がもう少し生きていれば……」という後悔のようなものが感じられました。

ジュディ:彼のキャリアは、36歳で突然中断されることになってしまいました。ですが、私はこう考えずにはいられないのです。もし彼があと5年、10年長く生きていれば、きっとヌーヴェルヴァーグの監督たちとも一緒に仕事をしていたでしょうし、そうなっていたらアラン・ドロンやジャン=ポール・ベルモンドのようなのちのスターは、彼らが成し遂げた功績を本当に成すことができたのだろうかと。彼らのキャリアがもう少し違ったものになっていたのではないかと思えてならないのです。

――本作には、フランソワ・トリュフォー監督がジェラール・フィリップをけなしている場面も出てきますね。

ジュディ:トリュフォーは当時、言論の場でジェーラルのことをこき下ろしていました。それは、今から見てもとても合理性に欠けたものです。トリュフォーは当時、急進的なナショナリストともいえる懐古主義者でした。一方で、アンドレ・バザンのような左派の作家たちとも付き合いがあり、彼自身右翼であることをずっと隠していました。ですから、弱者や労働者に共感して共産党員になることを選び、なおかつ美形だったジェラールは、当時のトリュフォーにとって耐えられない存在だったのだと思います。

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