『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で注目したい3つの“火”のモチーフ
2つ目は、雨の日のヴァイオレットとギルベルトの再会シーンにおける「暖炉の火」だ。
雨の中、自宅を尋ねてきたヴァイオレットに対して、ギルベルトは背を向け、「帰ってくれ」と言い放つ。そんな彼が見つめているのが、「暖炉の火」である。
彼が見つめる「暖炉の火」が意味するのは、言うまでもなく“戦争”だ。それは、のちの「君がいると私は思い出してしまう。幼い君を戦場に駆り出してしまったことを。君が私の命令を聞いて、両腕を失って」というセリフからも明らかである。先ほど、街灯がガス灯から電灯へ置き換わる形で、少しずつ戦争の傷が癒えていると述べたが、ギルベルトの中では“戦争”はまだ終わっていないのだ。
演出的にも、暖炉の火のクローズアップショットとヴァイオレットの周囲が燃え上がる戦時中のイメージがモンタージュ的に重ねられており、暖炉の火と戦火を観客の中でリンクさせようという意図が見られる。
ここでの「火=戦争」の図式は、のちに“火”が“太陽”というモチーフに転じて、クライマックスにて重要な意味を持つこととなる。それも踏まえて、本作のクライマックスを観ると、違った発見があるだろう。
3つ目は、本作のフィナーレを飾る「花火」である。
みなさんは花火と聞くとどんなイメージを思い浮かべるだろうか。大林宣彦監督作品の『この空の花 長岡花火物語』の公式サイトに綴られている製作経緯の中に、花火を巡る2つの対照的な証言が収録されている。
「全ての爆弾を花火に換えたいねー。二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしいんだよ。破壊のための火薬を楽しみのために使うんさ」
「花火は嫌いなんですよ、あの音も光も。あの日を思い出すから」(※1)
花火は前者の証言が述べているように、平和な世の中を象徴するとも言える。その一方で、2つの証言に内包される「爆弾」「あの日」という言葉から“戦争”という言葉が浮かび上がる。
また、映画評論家の畑中佳樹氏は北野武監督の『HANA-BI』について次のように言及している。
「『HANA-BI』(花火)というタイトルは、花=生、火=銃=死という絵解きがすでにされているが、それとはまったく逆の意味作用を汲みとることもできる。すなわち、花とは桜であり、桜には日本文化の中で自死の連想がある。一方、火は燃え上がる生である。花火は爆弾と同じもので、戦時下では死の兵器ともなる。『HANA-BI』というタイトルの中に、生と死のイメージがいくえにも折り重なるようにないまぜられている」(※2)
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でも、回想シーンの中で、照明弾が空高く舞い上がるシーンがあり、これはフィナーレの花火のイメージに重なる。このように「花火」は、平和な時代の到来を象徴するものでありながら、その背後に“戦争”という負の側面を背負った両面性のあるモチーフなのだ。
平和な時代の訪れを祝福し、そしてこれからもそんな世界が続いていくことにささやかな祈りを捧げる。しかし、それは戦争を過去にして忘れてしまったり、なかったことにしてしまったりすることではない。
そこには、ヴァイオレットがそうであったように、「やけどの跡」のように残り続ける“戦争”に向き合い続けていくという覚悟が伺えるのだ。
“火”というものは時に残酷に誰かの命を奪う。しかし、“火”は時に誰かを温め、癒してくれる。そして、時に“火”は空高く舞い上がり、たくさんの人を楽しませる。同じものであっても、演出や意味づけが変わることによってさまざまな見え方をする。
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』には、単に美しいだけではない、京都アニメーションの演出的な巧さが詰まっている。
参考
※1. https://www.locanavi.jp/konosora/about/top.html
※2. 畑中佳樹「死出の旅の車窓の風景ー犯罪逃避行映画の生と死」
■放送情報
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
日本テレビ系にて、11月25日(金)21:00~23:34放送
※放送枠40分拡大
出演:石川由依、浪川大輔
原作:暁佳奈
監督:石立太一
脚本:吉田玲子
キャラクターデザイン・総作画監督:高瀬亜貴子
音楽:Evan Call
アニメーション制作:京都アニメーション
©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会