『舞いあがれ!』新章突入前に必須だった幼なじみ3人の自立 “気づき”を描く脚本を紐解く

「最初は白い波ばっか見ててな。ほんなら海の色がきれいやなって気ぃついて。近くから遠くへ、どんどん青色が濃くなってくん見てた。海の果てまで見てたら、そっから空が始まってた。無限の青やで。空が暗なったら、浮き上がるように星が見えてきてん。ただの闇やと思てた空に、こんなぎょうさん星あったんやなって」

 『舞いあがれ!』(NHK総合)第7週「パイロットになりたい!」で貴司(赤楚衛二)が訥々と語ったこの台詞。着の身着のまま五島へやって来た貴司が、大瀬崎の風景を3日間ただただ眺めていたら、空っぽになった心の中に温かいものが注がれて、満たされていった様子が、たった数行の台詞で手に取るように伝わってきた。

 煌めく青春がつまった「人力飛行機編」が第6週で終わり、第8週からはいよいよ「航空学校編」が始まる。まだ「なにわバードマン」ロスが広がる中、この第7週は視聴者にとって、なんとも優しい“ワンクッション”となった。また、物語においては、幼なじみ3人組が大人の入り口に立ち、しっかりと地に足をつけて歩き出すエピソードであった。パイロットになると決意した舞(福原遥)、「ほんまの自分の居場所」を探して旅をしながら、短歌を書き続けていくと決めた貴司、生き別れになった母に会いに行く決心をした久留美(山下美月)。第7週には、常に「気づき」の連鎖があった。

 3日間をかけて海や空や星の美しさに気づき、生気を取り戻した貴司の姿は、「目を向けずに見逃していたことを見直す」ことの大切さを象徴していた。貴司が見逃していたのは「自分の価値」ではなかろうか。ノルマと激務に追われ、毎日上司から責め立てられ、自分で考える力をなくし、もしかしたら過労自殺寸前のところまできていたかもしれない。「自分と、自分の命は、世界にたったひとつのかけがえのないものである」という「当たりまえのこと」を、見失いかけていたのだろう。

 古本屋「デラシネ」が閉店し、心の拠り所をなくした貴司。店主の八木(又吉直樹)は「得体の知れん、でっかいもんに呼ばれた」と言って去っていった。貴司にとっては、人生の“水先案内人”を失う心持ちだったのだろう。しかしデラシネ閉店は、貴司への「ここからの行き先は自分で決めろ」というメッセージだったのかもしれない。貴司は、子どものころの舞(浅田芭路)にもらった絵葉書にいざなわれ、五島で「気づき」を得た。胸の中に「ぎゅうぎゅう詰めなってて出てこられへん」かった言葉が、ぽつりぽつりと流れ出し、初めての短歌が生まれた。

 自分と父・佳晴(松尾諭)を置いて出ていった母・久子(小牧芽美)に、長年、愛憎相半ばする感情を抱きつづけてきた久留美。毎年、久留美の誕生日には、久子が連絡先を書いたバースデーカードを送ってきていたが、これまで一度も連絡したことはなかった。五島で貴司の「覚醒」に立ち会い、貴司を思って胸が張り裂けそうな雪乃(くわばたりえ)の母心や、舞の祖母・祥子(高畑淳子)の大いなる“母性”にふれ、自分の母にもいろんな思いや事情があったと思い至ったのだろうか、久子と向き合う決意をする。

 会ってみて、久子の「離れることで夫がしっかりしてくれると思った」という思いと、久留美の「自分が留まることで母が戻ってくれると思った」という思いの、ボタンの掛け違いだったことがわかる。だからといって、何もかもがスカッと解決するわけではない。久留美の、母と父に対する「愛憎相半ばする感情」はこれからも続いていくだろう。しかし久留美が自分だけの道を、自分の足で歩いていくために、母と会うことで「一区切りを置いた」ということではないだろうか。

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