チャップリン映画は新たな視野を獲得する冒険! 必見の映画祭上映作品を解説
映画史のなかで最も偉大な功績を残した一人である、「喜劇王」チャールズ・チャップリン。ちょび髭や、山高帽にぶかぶかのズボンを履いたユーモラスな格好の貧しい「放浪紳士・チャーリー」のキャラクターで大勢の人々に愛され、後のコメディアンや、マイケル・ジャクソンなど世界的なアーティストにも多大なインスピレーションを与えてきた、最高のエンターテイナーだ。
チャップリンの作品を観なければ映画は語れない……このように教条的な言い回しをすると、チャップリンの作品に触れたことのない人は、逆に観る気を失ってしまうかもしれない。また、誰もが知るような存在だからこそ、自分が観なくても良いだろうと考える人もいるに違いない。しかし、そのような先入観からチャップリンをあえて遠ざけることは、非常にもったいない選択だ。
なぜなら、チャップリンの作品は、今もなお笑い転げるほど愉快で、そこには現代の世界の問題や、未来までをも見通す鋭い風刺が存在するからだ。当時の観客たち同様、その作品の魅力を味わい、笑い、涙することは、もはや「勉強」ではなく、現代の娯楽の源流を辿る愉快な体験であり、新たな視野を獲得する冒険でもある。
そんなチャップリン作品の本格的な特集上映『フォーエバー・チャップリン ~チャールズ・チャップリン映画祭~』が開催される。スクリーンでまとまったプログラムを観ることのできる機会は、ファンのみならず、これまでチャップリン作品に触れてこなかった観客にとって、またとない機会だといえるだろう。少なくとも、現代のコメディ映画でもなかなか味わえない、客席が大ウケする経験が、ほとんどの作品で楽しめることは間違いない。
今回上映される映画作品は、いずれもチャップリンが地位を確立し、自身が主導権を握って製作できる環境が整った後のもの。なので、何を観ても本格的な彼の魅力が味わえるはずだ。共通しているのは、パントマイムのような独特の動きが見られるところである。チャップリンが人生を変えてくれたと語る映画評論家、解説者の淀川長治氏は、子ども時代からチャップリン作品の上映を体験し、そのふらふらした動きから、親しみを込め「アルコール先生」と呼んでいたという。
チャップリンは無声映画時代を代表するスターなので、音声でなく身体の動きだけで観客に状況を理解させ、ありとあらゆるアイデアが反映された動作やアクションで爆笑させてきた。その完成度が異様に高いのは、自身が監督として何度もリテイクを出し、膨大な量のフィルムのなかから最良の演技、最良のギャグを厳選する完璧主義にもあった。
無声映画とチャップリンの演じるスラップスティック(ドタバタ劇)との組み合わせは、まさにパンにバター、紅茶にミルクのような、相思相愛のマッチングといえる。笑いの感覚は各国によって異なるはずだが、それでも世界中でチャップリンの喜劇が愛されるのは、この非言語的な魅力があるためである。
チャップリンが笑いと涙の芝居を本格的に融合させ、長編を手がけていく転換点となったのは『キッド』(1921年)だが、同時期に製作された上映作『犬の生活』(1918年)、『担へ銃(になえつつ)』(1918年)、『サニーサイド』(1919年)、『一日の行楽』(1919年)、『のらくら』(1921年)、『給料日』(1922年)、『偽牧師』(1923年)などの中・短編作品にも、人情を感じさせる場面がたくさんある。
とはいえ、これらの無声映画はあくまでスラップスティックなギャグが中心となっている。田舎のホテルの従業員が、朝の起床をめぐって経営者との攻防を繰り返す『サニーサイド』、脱獄した犯罪者が牧師になりすましたことで、教会で説教をしなければならない事態に突入する『偽牧師』、そして、第一次大戦の塹壕戦を描いた『担へ銃』では、劣悪すぎる環境で戦わざるを得ない兵士たちが、浸水した兵舎で“水中睡眠”する、とんでもない場面があるなど、笑いを我慢できないギャグが炸裂する。軽快で笑えるチャップリン作品を堪能したければ、このあたりを狙うといいだろう。