『舞いあがれ!』が伝えるトライアンドエラーの精神 “見守る”ことの難しさと大切さ
めぐみ(永作博美)が東大阪に帰った。連続テレビ小説『舞いあがれ!』(NHK総合)第2週が幕を開け、舞(浅田芭路)と祥子(高畑淳子)の二人暮らしが始まる。
めぐみを見送った帰り道、舞の目に留まったのは大空を高く飛ぶ「ばらもん凧」。五島の方言で「元気者」を意味する「ばらかもん」から名付けられたと言われており、島では端午の節句に子どもの健やかな成長や厄払いを願って揚げられている。
舞は一太(野原壱太)からたこ糸を手渡され、凧揚げに初挑戦。だが、凧はすぐさま木の上に落下し、壊れてしまう。元気……という状態からは程遠い今の舞を表しているかのようだ。
そんな舞に祥子が教えるのは、「自分のことは自分でやる」という生き方。ご飯を食べた後は自分で使ったお皿を洗い、朝は目覚ましをかけて自力で起きる。ごくごく当たり前のことだが、舞にとってそれらは全てめぐみがやってくれていたことだった。
祥子から教えてもらいながら、いろんなことに挑戦する舞。お皿を割ってしまったり、寝坊して髪も整える暇もなく学校に登校したり。失敗を重ねるたびにしゅんとなる舞の表情が愛おしい。そのどれもが大人からしてみれば大した失敗ではないのだけれど、舞には一つ大きなトラウマがある。
それは運動会のリレーで転んでしまい、みんなに責められたこと。その失敗体験に加え、過保護に育てられてきたことによって、舞の中で「失敗は恥ずべきこと、ダメなこと」という間違った認識が生まれてしまった。
祥子をはじめ、五島に暮らす人々の振る舞いはそんな舞の認識を覆してくれるものだ。祥子は舞の失敗を変にフォローすることはないが、その代わりに責めたり、呆れたり、からかったりもしない。「できんことは、次、できるようになればよか。できんなら、できることば探せばよかとぞ」と、大きな器でどしっと受け止めてくれる。