『夏へのトンネル、さよならの出口』はなぜ3度も“トレイン・ミーツ・ディア”を描いたのか?
3度の「30分」で何が変化したのか?
では、鹿に衝突したために電車が遅延するという旨のアナウンスを劇中で3度も繰り返したことには一体どんな意味があったのだろうか。
それを考えるにあたっては、3度のアナウンスに際して、何が変化したのか、あるいは何が変化しなかったかに注目する必要がある。
まずは変化していない点だが、「トレイン・ミーツ・ディア」がもたらす電車の遅延時間が「30分」であるという点は、3度のアナウンスにおける共通点になっている。「30分」という時間の絶対量は変化していないのだ。
では、何が変わったのか。それは「30分」に対するカオルやあんずの印象や向き合い方ではないだろうか。
各シーンを振り返りながら、詳しく観ていこう。
1度目のアナウンスが流れるのは、映画の冒頭、カオルとあんずが出会い、会話を交わすシーンである。
このときのカオルの心情は、原作でも言及されているように「またか」であり、一方のあんずの心情は舌打ちをしたことからも明らかだろう。
2人は電車の遅れに諦念や抵抗の意を示しながらも、それを受け入れ、何か行動を起こそうとは考えない。彼らにできるのは、憂鬱な「30分」をやり過ごし、ただ電車を待つことだけだ。
2度目のアナウンスが流れるのは、2人で喫茶店を訪れた日の帰り道である。
1度目のシーンを構成していたのは、靄のかかった海、曇天、雨、力なくうなだれた向日葵、憂鬱な2人の表情であった。これらが、2度目のシーンでは、水平線までくっきりと観える海、青空、快晴、咲き誇る向日葵、笑顔の2人へと転換されている。
こうした視覚情報の変化から読み取れるのは、冒頭では憂鬱なものでしかなかった「30分」が、2人にとって、過ぎ去ってほしくない時間、あるいは少しでも長く続いてほしい時間へと変化していることだ。
加えてこのシーンは、ウラシマトンネルへの突入延期を決めた直後でもある。
そのため、このまま駅のホームに留まり続けていても、2人でならば幸せに過ごせるのではないかという予感に満ちている。もはや、待っている電車の存在すら忘れて、2人の時間を楽しんでいるように観えるのだ。
しかし、あんずを置き去りにして、カオルは不条理な運命からの「脱線」を選択し、そのまま年月は流れていく。
3度目のアナウンスが流れるのは、物語の終盤、自身の漫画の連載が終わり、ウラシマトンネルから戻らないカオルの存在に絶望するあんずが涙を流すシーンである。
これまでの2つのシーンとの対比により、カオルの不在が強烈に印象づけられる。
今回もやはり電車は「30分」遅れているわけだが、ここでは遅延する電車と帰らないカオルの存在が明確に重ねられている。
このまま待ち続けていれば、いつかカオルは戻ってくるかもしれない。30分後か、1時間後か、1日後か、1年後か、10年後か、あるいはもっと先か。しかし、いつまで待てばいいのだろうか。本当に自分は待っているだけでいいのだろうか。
そんな葛藤を抱えた彼女の携帯電話に届いた一通のメールがすべてを変える。
ここで、本作において初めて電車を「待たない」という選択が為されるのだ。
あんずはもう「電車」を待たない。そして、定められた「線路」を逸脱して走り出す。待っていれば、いつか誰かが望んだ場所に連れて行ってくれる。そんな幻想を手放し、彼女は自らの足で目的地を目指すのだ。
「運命の奴隷」から目覚めて
3度の「トレイン・ミーツ・ディア」が提供したのは、カオルとあんずに選択を促す「30分」のモラトリアムである。
先ほど定義したように、本作における電車は、「主体的に何かを選択せずとも、身を委ねるだけで、自分の望む目的地へと半ば強引に連れて行ってくれるもの」として描かれている。
そんな「電車」の到着をただ待つのか、それとも待たないという選択をするのか。
物語の序盤のカオルがカレンに縋ったように、あんずが特別な才能に頼ろうとしたように、前者の選択をしてしまうのが、むしろ普通に思える。なぜなら「電車」を待ち続ける方がずっと楽な選択だからだ。
しかし、そうした楽な選択に慣れれば慣れるほどに、無意識のうちに「運命の奴隷」になってしまい、「電車」を待たないという選択肢が見えなくなっていく。ある意味で、それが大人になるということなのだろうか。
『夏へのトンネル、さよならの出口』が描く、カオルとあんずの選択と勇気は、そんな大人の目には、未熟で無責任なものに映るかもしれない。
しかし、その「青さ」が少しだけ眩しく、羨ましくも思えるのだ。
■公開情報
『夏へのトンネル、さよならの出口』
公開中
声の出演:鈴鹿央士、飯豊まりえ、畠中祐、小宮有紗、照井春佳、小山力也、小林星蘭
監督・脚本:田口智久
原作:八目迷
キャラクター原案・原作イラスト:くっか
キャラクターデザイン・総作画監督:矢吹智美
色彩設計:合田沙織
美術監督:畠山佑貴、栗林大貴
撮影監督:星名工
CG:チップチューン
編集:三嶋彰紀
音楽:富貴晴美
音響監督:飯田里樹
制作プロデューサー:松尾亮一郎
アニメーション制作:CLAP
配給:ポニーキャニオン
©2022 八目迷・小学館/映画『夏へのトンネル、さよならの出口』製作委員会
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