『ブレット・トレイン』に感じる数奇な運命 荒唐無稽な内容と懐かしい雰囲気の背景とは

 伊坂幸太郎原作のなかでも、とくにポップな犯罪小説『マリアビートル』を原作に、ブラッド・ピットをはじめとした、アメリカの豪華キャスト陣が演じる殺し屋たちが、走り続ける新幹線のなかで壮絶なバトルを繰り広げる映画『ブレット・トレイン』は、かなりいろいろなものを思い出させてくれる、ある意味で懐かしい一作だ。

 その荒唐無稽な内容、そして懐かしい雰囲気は、どこからきたものなのだろうか。ここでは、本作の中身を掘り起こし、背景を考えながら、その実像に迫っていきたい。

 アメリカの娯楽アクション大作は、海外を舞台にするとき、その国の特殊性やステレオタイプ(固定観念)を強調し、ショーアップして見せる傾向がある。その姿勢は、ある観客には娯楽のプロフェッショナルとして映るだろうし、ある観客は異文化への敬意を欠いた幼稚な表現だと判断するだろう。

 しかし、日本を舞台にした本作『ブレット・トレイン』は、開き直ったかのように、現代の日本社会が持つイメージをさらに際立たせ、そこで生まれる異様さそのものをも、娯楽要素として提出している。その“コミック的”な演出は、本作の監督デヴィッド・リーチが『デッドプール2』(2018年)など、アメコミ原作映画を手がけていることからもきているだろう。

 さらにリーチ監督は、過去にやはり日本を舞台にした『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)のセカンドユニット・ディレクターも務めている。このアメコミ映画は、高速で走行する新幹線の屋根の上で、ヒーローと日本のヤクザが死闘を繰り広げるという、荒唐無稽なアクションシーンを用意している。主人公のウルヴァリンはともかくとして、生身のヤクザがなぜかそこまでアクロバティックな動きをするところに、衝撃的な面白さがあった。本作は、まさにこのようなシーンまでをも内容に組み込んでいるのである。

 このような突き抜けた表現は、本作の至るところで見られる。日本でよく見られるマスコットキャラクター、オリエンタルなデザインの新幹線の内装、アメリカでも流行した“原宿系”を想起させるポップでカラフルなムードや、ハリウッド映画の日本描写の定番となっている“多機能トイレ”の紹介に至るまで、さまざまな“日本的”要素が、誇張されたかたちで登場する。

 このような日本を扱った要素が、日本に住む観客にとって奇妙なものに感じられるのは、この世界観が、スーベニアショップを訪れる外国の観光客の視点から描かれている部分もあるだろう。その土地の人々の暮らしや考え方などにはあまり興味を払わず、ショートケーキに乗ったイチゴだけを食べるような姿勢で、分かりやすい印象を切り取る……そういった作品は、いってみれば「観光映画」と呼べるものだ。また日本でも、日本人のキャストがフランスやイタリアなどを舞台に観光地を巡るような、同様の作品が存在する。

 それでも本作が、ただ物珍しい東洋趣味の羅列のような印象を与えないのは、“新幹線”という、限定された場所を舞台としているからなのではないか。さらに、プロの殺し屋たちが車内で戦うという、現実離れしたプロットは、日本でなくても成立するものだ。つまり、日本の文化に対する表面的な理解にとどまった内容だとしても、まとまったものになりやすい題材ということになる。

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