『峠 最後のサムライ』が継承した黒澤映画の哲学 役所広司と仲代達矢の関係が意味するもの

 日本のみならず、世界の映画史のなかで代表的な監督の一人である、黒澤明。1998年に彼がこの世を去った後、『用心棒』(1961年)などで撮影に加わった木村大作や、『夢』(1990年)などで助監督を務めた小泉堯史など、元「黒澤組」の一部スタッフは、映画監督としていくつもの作品を手がけている。

 江戸幕府が滅びゆく幕末の姿を切りとった、司馬遼太郎の原作を映画化した、本作『峠 最後のサムライ』もまた、小泉堯史監督のもと、美術、衣装、編集など、かつて「黒澤組」で仕事をしてきたスタッフたちが、培った技術を活かしながら撮影にあたっている一作である。

 ここでは、そんな本作『峠 最後のサムライ』が、この物語のなかで描こうとしたものが何だったのかを、できる限り深く考えてみたい。

 映画は、将軍の大権を天皇に返上するという「大政奉還」の意志を、徳川慶喜(東出昌大)が大名たちに告げるところから始まる。劇中で解説されるように、徳川光圀の教えを守り天皇に恭順を示す達成感と、先祖から代々受け継いできた幕府の権力を手放す無念さという、複雑な感情を表現した演技が、長回しでとらえられている。

 かつて黒澤明は宮崎駿との対談のなかで、数々の技法を確立させた映画史の最重要的存在であるセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の象徴主義的なモンタージュ技法について、異を唱えている。それは“ロシア表現主義”ともいわれ、画面に映るさまざまなものを、物語やテーマの暗示として機能させるというハイレベルな演出だ。この手法について黒澤は、人間を物としてとらえていて、個人として尊重していないところがあると、持論を展開したのだ。

 たしかに黒澤監督は、エイゼンシュテインと同様にさまざまな撮影技法を試し、彼と同じく象徴主義的なアプローチをとりながらも、役者の演技をとらえたカットの持続性や、登場人物の内面的な部分にフォーカスしたバランスを、より重視していたように感じられる。もちろん、双方の演出プランは目指すところが違うため、そのものを良し悪しの問題にするべきではないが、そこが黒澤映画の娯楽性や大衆性、世界的な支持を支えてきた部分なのだろう。

 本作『峠 最後のサムライ』で見られる、いささか前衛的にすら感じられる、徳川慶喜の逡巡をとらえる長回しは、そんな黒澤監督の映像哲学を一部受け継いでいると感じられる。ましてや、本作はアナログフィルムでの撮影。何度もリテイクできない緊張感が、本作の各シーンにみなぎっていることも伝わってくる。

関連記事