『ちむどんどん』暢子に代理シェフは務まるのか 比嘉家メンバーそれぞれの“今”が明らかに

 『ちむどんどん』(NHK総合)第51話は、それぞれのキャラクターの現在地が確認できるような回だった。歌子(上白石萌歌)が東京にやってきて検査を受けた1976年の秋から半年後の1977年6月。暢子(黒島結菜)はフォンターナで働き始めて6年目に入った。働き始めた頃より落ち着いた接客、落ち着いた調理ができるように。「ストーブ前」も度々任されるようになって、料理人としての進歩を感じさせる。今回は、そんな暢子に限らず、主要登場人物の“今”が描かれる。

 半年前は店を辞める騒動を起こしていた二ツ橋(高嶋政伸)も、相変わらず料理長として勤めていた。厨房の司令塔として、各自の味付けを確認したり調理の進捗を確認したりと忙しい。注文と待ち時間を見定めて客席にしっかりサーブされるように指示を飛ばし、最高のおもてなしを演出する“厨房のコンダクター”として常に冷静な視点で全体図を把握しておかなければいけない。キッチンの外でも、季節を意識しながら食材を選び、原価計算もしながらメニューを考える。シェフという立場に必要なのは料理の腕だけではないのだ。

 しかし、二ツ橋が骨折をしてしまったことで急遽“シェフ代理”が立てられることに。そして、二ツ橋が自分のように動ける人間として挙げた名前が暢子だった。房子(原田美枝子)にシェフを任され、驚く暢子と矢作(井之脇海)。矢作は自分が最も適任だと考えていたが、二ツ橋が急遽来れなくなった1日の動きの中で、暢子の持ち場を無理やり代わり、彼女の体を押したことでスープをもつスタッフと追突させていた。彼はそれを暢子のせいにしていたが、指示は口頭に収めるべきで、シェフがいちいち動き回っては厨房でああいった事故が起きるという可能性を考えられなかった矢作も、適任とは言い難い。それでも、6年目の暢子に果たしてシェフの役割が務まるのだろうか。

 さて、暢子の後追いのようにして上京した智(前田公輝)も、社長から商売の腕があると褒められ、独立を考えるようになっていた。今すぐではなくとも30歳までに独立し、その後会社が軌道に乗ったら結婚し、子供を最低5人欲しいという智。そんな話をしていると、「あまゆ」で一緒に飲んでいた愛(飯豊まりえ)が暢子の名前を出し、彼を動揺させる。自分がずっと彼女に恋心を抱いていることを隠せていると思ったらしい。店中が「(好きと)口が言わなくても目が言っている」と茶化し始めた頃、智だけではなく和彦(宮沢氷魚)も動揺し始めた。「智は暢子のことが好きなの?」と言う彼も「鈍感」と茶化される。そこに帰ってきた暢子。智はもちろん慌てていたが、なんとなく和彦も複雑そうな顔をしていたのは気のせいだろうか。

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