『鬼が笑う』MINO Bros.が明かす兄弟ならではの映画づくり “偏見”が生み出す絶妙な配役
6月17日に全国公開される映画『鬼が笑う』。兄の三野龍一が監督、弟の三野和比古が脚本を担当する兄弟映画制作チーム「MINO Bros.」による本作は、父殺しという十字架を背負った男を主人公に、外国人技能実習生問題や差別、偏見といった日本社会が抱える諸問題を描き出す。
2019年に映画『老人ファーム』で長編デビューし、本作が2作目となるMINO Bros.にインタビュー。本作が生まれた背景や、兄弟ならではの作品づくりについて話を聞いた。(編集部)
「映画のなかで死にたい」という主演俳優の願望が生んだ衝撃作
――非常に重いテーマを扱いながら、エンターテインメントに昇華させる手腕に驚いたのですが、本作の企画はどこから?
三野龍一(以下、龍一):前作の『老人ファーム』を撮ったときは、僕たち兄弟の中のロジックがあったんですが、そういう作り方が正しいのか、正しくないのかすら、前回はわからなかったんです。そのロジックで、もう1回ちゃんと挑戦してみたいということが、まずありました。それから『老人ファーム』の主演の半田周平さんでもう1本作りたいなと。
――では、半田さんの主演で次回作を作ろうというところから具体的に動き出したわけですか?
三野和比古(以下、和比古):当て書きをするんですよ、僕たち。当て書きというか、この人が演じるのであればこういう役がいいよね、という。半田さんも梅田誠弘さんもそうなんですけど、その役者さんから強く感じる匂いというか、それを具現化して、キャラを作っていくんです。
――半田さんが演じた父親を殺した石川一馬という役はどのように?
龍一:半田さんが死にたいって言ってたんですよ。作品の中で燃え尽きて死にたいって。それなら、どういう死に方がベストかなっていう。そこから逆算して作ったところがあります。
兄と弟の二人三脚で映画を作る方法
――兄弟で、監督と脚本を分業した映画作りというのは、どのように進めていくんですか?
龍一:基本的に、映画という名の遊びなんですよ。一つ大きな設定を用意して、それに対して僕たちがディスカッションをするんです。どういう設定だったら面白いのかなって、ずっと話している間に、1つ出来ると、それを1シーンにして。それが何個も重なっていくっていう感じですね。
――黒澤明や大島渚が脚本家集団と一緒に、ディスカッションしながら、あの手この手の手法を考えて脚本を作っていたのに近いですね。
龍一:そのやり方が、絶対効率的だなとは思うんですよ。
和比古:答えが出るのが早い。2人でやっていると、常に客観が入ってくるので、答えを確かめやすくなっているんでしょうね。
龍一:一人で作っていたら自問自答するじゃないですか。だから兄弟でやっていると鏡みたいなものなので、「これは正しいよね?」って言うと「正しい」となる。だから、他の人が聞いたら何を言ってるか全く分からないと思います。「あれか」「うん、あれ」(笑)。あれとこれだけで会話している。
――『鬼が笑う』も、そういった形で脚本が作られたと。
龍一:僕がこれをやりたい、こういうお話をやりたいというところから始まって。兄弟ですけれども、性格が全然違うんですよ。
和比古:僕はどっちかっていうとロジックで考えちゃうので、このシーンは、こういう役割だよねって。それが必要なのか、必要じゃないのかを考えていくんです。数学みたいな話になるんですが、こういう感情を出したいから、こういうシーンが必要だよねみたいな。
――ストーリーで繋げるんじゃなくて、感情で繋いでいくんですね。
龍一:編集も感情で繋いでいるんですよ。どういう設定であろうとも、感情さえちゃんと伝わればいいので。
――セリフはどうやって作っていますか?
和比古:僕が自分で言いながら書いています。どの俳優さんが演じるかを想定して書いているので、こういう語尾使わないよね、とかって言いながらセリフを足したり。
龍一:一つのセリフでも何時間もかけて考えて。
和比古:それはそう。僕のこだわりなんですけど、状況が不味くなって、ちょっと敬語になったりとかってあると思うんです。そこは結構時間がかかるんですけど。
――撮影現場でも、2人でいるんですか?
和比古:僕はカメラマンの機材を運んだりとか(笑)、ちょっとこだわりのある美術とかをうるさく言ったりとかぐらいですかね。
龍一:自分は脚本家だ、みたいなのは彼の中に全然なくて。映画に必要なパーツだから脚本を作る。監督というのも役割としてあるから、これをしないといけないという考え方ですね。
――現場で脚本を変えることもあるわけですか?
龍一:全然変わりますね。この脚本の通りにしろっていうことじゃないんです。出来ない人もいるし、感じが出ない人もいるし、芸人さんもいるので。だから、その場でドキュメンタリーを撮っている感覚というか、本物をちゃんと撮ってあげるということを意識しています。だから、脚本も簡単に変えちゃったりします。
和比古:そういうとき、ちょっと僕を見てくるんですね。それで「うん」と頷くので、なんの「うん」なのかなと(笑)。
――現場で脚本を変えたことで、2人の意見が食い違うことはないんですか?
和比古:ないです。
龍一:基本的にはないですね。僕が面白いと思ったものが、弟も「面白い」ってなるので、すごく楽なんですよ。自信にもなるし。
“偏見”が生み出す絶妙のキャスティング
――現場では俳優さんとはどのように?
龍一:基本的に、俳優さんの考え方にNOは言わないです。たぶん、僕たちより、俳優さんはその役のことを必死に考えているわけじゃないですか。だから、基本的には俳優さん中心というか。一馬だったら、一馬を演じる半田さんがどういうことをするのかを見る。そういうところもドキュメンタリーに近いのかな。
――この映画は、俳優さんたちが脇の方に至るまで突出しているなと感じるのは、そういう作り方をされているからなんですね。
龍一:だから楽しいって言ってもらえますね(笑)。
――とはいえ、時には監督から見ると、演技が過剰に見えたりすることもあるわけでしょう?
龍一:それは正直、こちら側で編集できますし、現場でもその部分を撮らなければいいと思ってるんですよ。とりあえず、制限はしないようにして、やりたいことを演ってもらって、あとはこっちでどう撮るのかっていうことですね。
――半田さんや梅田さんに限らず、リアルと虚構の中間を漂うようなキャラクターが次々に登場します。
龍一:偏見でキャラクターが出来てる部分があると思います。たとえば、ある俳優さんは、すごくいい人なんですけど、初めて会った時に僕の中で、ちょっと嫌いだなと思っちゃって。それは、なぜか分からないですけど。それを脚本で誇張していく。梅田さんを初めて見たときは、なんか可哀想に感じるなって思ったんですよね。
――ひどい偏見ですよ(笑)。
龍一:全部偏見なんですが、この人こういう裏を持ってそうじゃないかと思って形になったのが、梅田さんの演じた劉さんの役だったりするんです。
――それは観客の目線に近い感じがしますね。第一印象で好きとか嫌いとか、勝手なことを観ている側は思いますからね。
龍一:その偏見を持って、出てくれる方が一番輝くであろう役を考えるというという流れですね。