『トップガン マーヴェリック』の“続編映画”としてのアプローチ 前作との違いを比較考察

 1986年に公開されるや大ヒットを記録し、主演のトム・クルーズを大スターとしてブレイクさせた、アメリカの戦闘機アクション大作『トップガン』。その正統な続編『トップガン マーヴェリック』が、ついに公開された。長年の間、製作が計画、準備されていたが、前作に続いて監督を務めるはずだったトニー・スコット監督が死去した影響などにより、何度も暗礁に乗り上げていた企画である。

 映画史に大きく刻まれ、もはや伝説の域に入っている『トップガン』。新しい時代のなかで、主演のトム・クルーズや新たなクリエイターたちは、どのようなアプローチで新しい『トップガン』を表現したのだろうか。ここでは、本作『トップガン マーヴェリック』その出来や、前作との違いなど、注目したい点をできるだけ深く考察していきたい。

『トップガン マーヴェリック』(c)2022 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.

 そのために、まず『トップガン』とは何だったのかを、あらためて考えていこう。80年代の娯楽映画を代表する一本である『トップガン』は、トム・クルーズをはじめとするフレッシュな俳優たちが出演し、多くの観客が心を躍らせるアクション、恋愛、青春がバランスよく組み込まれた、王道的なエンターテインメントだ。人によっては、軍の兵器による無邪気な活劇の在り方に疑問を感じる場合があるだろうが、そういった部分を除けば、万人向けの映画だったといえるだろう。それだけに、「大味な映画」だと言われることも少なくない。

 しかし、果たして『トップガン』は大味な映画なのだろうか。例えば、クエンティン・タランティーノが出演した映画『スリープ・ウィズ・ミー』(1994年)の劇中では、彼の演じる男が「『トップガン』が史上最高の映画だ」という主張をする場面がユーモアとして描かれている。その内容は、各シーンの行間にゲイの抑圧された心理が見事に描かれているという、一見しただけでは分からない“サブテキスト”を、ユーモアを込めてネタ的に評価するというものだった。

 いま観ると、そのユーモアには差別的なニュアンスを感じるところもあるが、主人公“マーヴェリック”と、相棒“グース”やライバル“アイスマン”などとの関係に、軍隊というホモソーシャルにおける“ブロマンス(男性同士の熱い友情)”が色濃く描かれているのは確かだ。愛する女性が待つ大地と、男の仲間たちと飛翔する大空を往還する一人の人間を追うことが、映画に圧倒的なダイナミズムを与えていることを考えると、タランティーノが半分ヨタ話として語っている点は、非常に鋭いものだといえるし、過去のプログラムピクチャーのテイストを自作に利用してきた、彼ならではの目線であるといえよう。

 ただ、その主張が愉快なものとして演出されているように、その当時『トップガン』は、映画を芸術だととらえている層にとって、ただ売れるための軽薄なアクション映画だと考えられてきたことも事実であろう。しかし『トップガン』は、本当に“史上最高の映画”の一つだと主張してもおかしくない作品なのだ。

『トップガン』(REX/アフロ)

 30年以上経過した現在までに、『トップガン』の評価は少しずつ上がり続け、トニー・スコット監督の手腕とともに、芸術的な観点から見直されるようにもなってきているのである。それは、かつてアメリカにおける娯楽映画の枠にとどまる職人とみなされてきたジョン・フォード監督が、フランスの批評家たちにアーティストとして信奉されるようになった経緯に似ている。

 1910年代から、およそ50年間も活動し、『怒りの葡萄』(1940年)、『わが谷は緑なりき』(1941年)など、文学的だったり芸術的な名作を発表しながら、同時に大衆的な娯楽表現を追求してきたジョン・フォード監督の作品は、現在の一部の層から、アパレルでいえば“ヴィンテージ・ジーンズ”のような扱いがされるようになった。過去には安価で丈夫な作業着として流行り、多くの人に重宝され愛されてきた衣類“ジーンズ”だが、後の時代の目利きが、そこに歴史的だったり芸術的な新しい価値を見出し、古いコレクターズアイテムとして、人によっては信仰の対象になるくらいに神格化した存在にまでしているのである。

 思えば、ヨーロッパ的な“ハイカルチャー”よりも、労働者の安全を守り、経済や文化の下支えをしてきたジーンズの方が、むしろアメリカの象徴であり、魂がこもった存在だといえるのではないだろうか。その意味において、多くの観客に支持され愛された『トップガン』こそ、まさにアメリカそのものであり、アメリカの魂の一つの姿だといえるのである。

『トップガン マーヴェリック』(c)2022 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.

 このように言うと、トニー・スコット監督は「イギリス出身じゃないか」という反論をもらうことがあるが、ジャン・ルノワール監督の『スワンプ・ウォーター』(1941年)や、フリッツ・ラング監督の『地獄への逆讐』(1940年)のように、ヨーロッパの巨匠たちがアメリカに渡り、良くも悪くもアメリカの観客に喜ばれる題材を手がけてきたことを忘れてはならない。同様にトニー・スコット監督も、どのアメリカの映画監督よりも大衆の心理に寄り添い、“アメリカ的”な作品を手がけてきたのである。その代表が『トップガン』であり、『クリムゾン・タイド』(1995年)であり、彼の最後の映画『アンストッパブル』(2010年)などだったのだ。その作品の存在感は、より大衆的だからこそ、実兄である名匠リドリー・スコット監督作を凌ぐほどの強靭さがあるといえる。

 ジョン・フォード監督やトニー・スコット監督が、単に娯楽作家にとどまらないのは、作品ごとに実験的な試みがなされ、新たな時代のトレンドを生み出してきた点にある。例えば90年代後半以降のトニー・スコット監督作は、前衛的な編集によって、フィルムのコマを意図的に落としていくことで、アクション映画らしからぬ異様な雰囲気を獲得していくことになった。その進化の行方は、最後の作品『アンストッパブル』で断絶しているのである。そんな彼の様々な才気が、気鋭のプロデューサー、ドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーの製作のもとで十全に発揮され、ヒロイン役のケリー・マクギリス、ライバル役のヴァル・キルマー、ブレイク前のメグ・ライアンなど数々の俳優の熱演を引き出したのが『トップガン』だったのだ。

 さらに実機を使って空中戦を捉えた実写映像はもちろん、ケニー・ロギンスによる主題歌「デンジャー・ゾーン」、チープトリックの「マイティ・ウイングス」、作曲を担当したハロルド・フォルターメイヤーらによるアンセム、そしてベルリンのバラード「愛は吐息のように」などの“80s”音楽とともに、『トップガン』は1980年代ポップカルチャーを決定づける一作ともなったのである。その価値は、ヴィンテージ・ジーンズやジョン・フォード監督作のように、アメリカを代表する文化として、これからさらに重要視されるようになっていくだろう。

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