『鎌倉殿の13人』『犬王』『平家物語』のキーマン 佐多芳彦に聞く、“中世ブーム”の理由
中世は自分の生き方を自分で選べる時代
――「考証」という仕事について、もう少し話を聞かせてください。その場合、具体的には、誰とどのような打ち合わせをされるのですか?
佐多:最初に、その制作を担当しているプロデューサーの方とお話して、そのあと実際の担当者の方々から、具体的な質問を受けるというのが一般的で……今回の映画『犬王』の場合は、かなり最初の段階で、僕がサイエンスSARUさんのオフィスに伺って、湯浅(政明)監督と直接お話をさせていただきました。「考証」の仕事でいちばん怖いのは、制作の人たちと我々のあいだに、パイプがたくさんできてしまうことなんです。船頭が多くなってしまうと情報共有ができなくて、必ず齟齬が出てしまう。なので、それは僕のほうからちょっとお願いしたところもあるのですが、まず最初に湯浅さんにお会いして、それ以降の連絡係も少数に絞っていただいたんですよね。
――いちばん最初の段階で、湯浅監督とは、どんなお話をされたのですか?
佐多:僕自身、犬王=道阿弥のことは知っていたし、映画の原作である古川日出男さんの小説『平家物語 犬王の巻』にも目を通してはいたんですけど、今回の話を最初に聞いたとき、犬王の一体何をどう映像化したいのか、僕にはサッパリわからなくて(笑)。
――(笑)。
佐多:それは、僕なりに理由があって……中世の能楽をやると言ったら、もう観世流とかがあるわけで、それ以上の芸術性って、一体何があるだろうって、ちょっと思ってしまったんですよね。で、今回のお話をいただいてから、改めて『平家物語 犬王の巻』を読み返して、「ああ、そうか」と思って。要するに、そうではない、別の芸術性もあったかもしれない――湯浅さんは、そういうことをやりたいんだなっていうことに、やがて気づいたんです。湯浅さんとの最初のやり取りの中で、僕がいちばん面白いと思ったのは、犬王が自らの芸の力によって這い上がっていくというストーリーで。湯浅さんとしては、それが果たして「可能な時代だったのか」ということを、まずは確認したかったんだと思います。
――というと?
佐多:中世というのは、すごく簡単に言ってしまえば、自分で自分の生き方を、ある程度自由に選ぶことができる可能性があった時代なんです。もちろん、自由に生きようとする代償として差し出すのは、その人の生命と立場なわけですが。でも、もしかすると、それで成功することもできるかもしれない。そういう時代なんですよね。たとえば、「下剋上」などが良い例だと思いますけれど、そうやって下からのし上がってくるような人もいたわけです。そういうある種の人間たちが持っているエナジーって言うのかな。自分がこれだと思ったことに対して情熱を注ぎ込めば、もしかすると成功するかもしれない。そういう時代的な裏付けを、恐らく湯浅さんは、いちばん最初に確認したかったんだと思います。
――なるほど。まずはそこを押さえつつ……その後、さまざまな資料や情報を提供していく感じですか?
佐多:そうですね。もう本当に、膨大な量の情報を提供させていただいて(笑)。いちばんわかりやすいところで言えば、「この人は、こういうときに、何を着ていましたか?」とか「この人は、どういう身分で、どういう服を着ていますか?」とか、そういう先方からの質問が基礎にあって。で、当然なんですけれども、その人たちがいる建物の構造であるとか、その内装はどういうものだったのか……あと、『犬王』の中で、足利義満が「野点」のような茶会を開くじゃないですか。そこにあるべきものは何だろうとかっていうすごい細かいところから、それこそ人々の席次まで。だから、もう本当に、画面を作るために必要なものは全部と言っていいぐらい膨大な数の情報を提供させていただいて。
――舞台監督というか、ほとんど美術監督のような……。
佐多:そうなんです(笑)。というか、そこが実は、いちばん難しいところであって。僕があまり前に出過ぎると、演出に影響してしまうじゃないですか。だから、僕としては、常にそれを気にしつつ……僕は「明確に質問してください」っていうことを、常に言い続けていて。曖昧な質問をされて、それにヘタに答えてしまうと、演出に口を挟むことになってしまうから。なので、その兼ね合いを見つつ、かなりオールラウンドに、何でも相談されれば、僕がわかる範囲でお答えするというのが、基本的なスタンスでした。
――そのバランスが、なかなか難しそうですね。
佐多:そうですね。だから、演出の方が質問してくださったときに、僕は割と聞くんですよ。「その心は?」って。要は、その演出の方が、それで何をされたいのかを伝えていただけたら、なるべくそれを実現させるようにしたいなっていう。もちろん、外せない社会規範や身分など、最低限守らなくてはいけないものはあって、その部分は僕なりに設定しているのですが、そこから先は、もうみなさんがやりたいように、作りたいように作ってくださいっていう。そうやって、プロデューサーさんや監督、演出の人たちが作りたいものに、できるだけ近寄らせてあげることが、「歴史考証」という仕事の、最大の仕事だと僕は思っているんですよね。