お経には“最先端科学”が記されている? 三木大雲×関取花が語り合う、現代人の生き方
怪談がいつの間にか説法に変わり、聞く者の生活や人生を良い方向へと導くーー。三木大雲の“怪談説法”が話題を集めている。
京都・蓮久寺の第38代住職であり、自身の体験や実際にあった相談に基づく怪奇現象などから説法へと繋ぎ、仏教の教えを説く「怪談説法」で知られる三木大雲。各配信サービスで配信中の『三木大雲の怪奇妙法伝』は、住職の元に集まる多くの怪談や不可思議な話を紹介しながら、お経に書かれた内容と照らし合わせ、現代人の生き方、未来への警鐘を紐解いていく内容となっている。
リアルサウンド映画部では、三木住職とシンガーソングライターの関取 花の対談を企画。昨夏に放送されたNHK『怖~い俳句酒場 スナックいつき』で共演した両者に“怪談”“説法”“仏教”“歌”などについて語り合ってもらった。
お経には“未来”のことが記されている
——三木住職と関取さんは昨年の夏、NHK『怖~い俳句酒場 スナックいつき』でご一緒したそうですね。
関取花(以下、関取):はい。三木さんは“怪談和尚”として出演されていて。スタジオが薄暗かったんですが、まとってるオーラはすごく感じていました(笑)。
三木大雲(以下、三木):(笑)。あのときはお世話になりました。
関取:そのときの三木さんのお話もすごく興味深くて。ただの怪談ではなくて、人として大切なことや教訓、胸に刻んでおきたい言葉がたくさんあったんですよね。私は怪談にはそこまで興味がなくて、霊感などもないですが、「こういう話だったらもっと聞きたい」と思いました。
三木:ありがとうございます。怪談説法をはじめたのは、暴走族の人たちに仏教の話を聞いてもらったのがきっかけなんです。服の袖に“天上天下唯我独尊”で書いてあったんですけど、それはお釈迦様が生まれて最初に発した言葉なんですよ。なので「意味知ってる?」と話しかけて、「お坊さんの怪談聞いてみない?」と。
関取:最初にどんな話をしたんですか?
三木:本屋である男の人と会った話ですね。私、病気の人が匂いでわかるんですよ。そのときも病気の匂いがしてきて、どなただろう?と思ったら、年配の男性が立ち読みされていて。声をかけようか迷っていたら、あちらから「私のことを見てますか?」と話しかけてこられたんです。「大変失礼ですが、あなたから病気の匂いがします。明日、病院に行っていただけませんか?」と頼んだら、「じつは私、去年死んでるんですよ。話しかけてくれただけで十分です」と仰って、消えてしまった。その話をしたら、暴走族の総長が「僕も“オバケ”です」と言い出したんです。どういうことか聞いてみたら、その子はお父さんが酒浸りで、お母さんは夜の仕事なので昼間は寝ている。「ただいま」と家に帰っても、「おかえり」と言われたことがなかったそうなんです。なので「声をかけてくれただけで嬉しいというのはよくわかる」と。そういうことを続けているうちに、普段はケンカばかりしてる別の暴走族の子たちも輪に加わって、少年課の方も来るようになり。それが怪談説法の始まりですね。
関取:そうだったんですね! 今のお話もそうなんですが、三木さんの怪談説法は自分のこととして能動的に聞けるんですよね。私もそうですけど、多くの人は強い信仰を持っていないし、説教や説法といえば「これをやっちゃダメ」「これはこうしないと」と押し付けられるイメージが少しあって。三木さんの言葉はそうじゃなくて、自分の体験と重ねて、いろんなことに気付かせてもらえるので。
三木:そう言っていただけるのがいちばん嬉しいですね。お経には生き方や道徳的なこと、霊的なことも書かれていますが、何よりも未来のことが記されているんですよ。「このままの状態が続けば、こういう悪いことが起きる。それを止めるためにはこうしたい」といったことが書かれていて、それをみなさんにお伝えしたいんです。
関取:『三木大雲の怪奇妙法伝』も観させていただいたんですが、IT企業の社長の自宅に行く話は、まさに未来の話だと思いました。三木さんが仰ってた「文明の進歩に我々の心が追いついていない」というお話は、本当にそうだなと。たとえばSNS。「便利なものが出来たから、人々が言葉で傷つけあうようになった」と思っていたんですが、じつは人間の慢心や奢りが原因で、それはずっと前からあったものだったんだなって。
三木:そうなんですよね。お経には「神通力を多くの人が持つようになる」と解釈できることも書いてあるんですが、今の社会に当てはめると、携帯電話だろうなと。その他にも「これはバーチャル空間のことかな」と思える記述もあります。“空仮中の三諦”というのですが、この世はすべて仮の世界という考え方なんです。お経は最先端科学といいますか、まだ人類が到達してないことも書かれていると私は考えています。
関取:三木さんは「これからはお経に書かれていることを科学的に説明しないとけない」と仰ってますよね。今はどうしても、仏教や宗教、霊の話をするとシャットアウトしてしまう人が多いと思うので。
三木:人々が仏教から離れてしまったのは、明治時代に制定された宗教法人法がきっかけです。それによって仏教と神道の分離が行われ、廃仏毀釈(寺院、仏像、経文などを破棄し、仏教を廃する運動)がはじまった。政府の主導で神道が盛んになり、その結果、神の名のもとに戦争を行って、負けた。終戦後は(新憲法に定められた信教の自由により)「何を信じてもいい」ということになり、新興宗教が乱立し、「宗教を信じている人は危ない」ということになってしまいました。しかし、今後は「あなたはどんな宗教ですか?」と言える社会になったほうがいいと思っています。仏教を科学的、論理的に紐解くことで、多くの人に広がるきっかけになったらなと。
“信仰”はシンプルに表せば“好き”
関取:三木さんが仰ってた“仏道”という言い方にもハッとさせられました。仏教は「教え」だけど、仏道は「道」。剣道、柔道と同じように、道の先には先輩たちがいて、わからないことがあれば教えを乞うことができる。そうやって捉えることで、能動的に動けるのがいいんじゃないかなって。今の社会でいうと、もしかしたらオンラインサロンが近い存在になってきているのかもしれないですね。その人の美学とか価値観に共感してサロンに参加するのはちょっと宗教に近い感覚もあるのかなって。参加費がお布施みたいなものかも(笑)。アプリに課金したり、誰かのファンクラブに入るのも広い意味ではちょっと似てますよね。
三木:確かにそうですね。
関取:ミュージシャンのなかにも、神様というか、カリスマ的な方がいらっしゃいますよね。私はそういうタイプではなくて、ワンマンライブでも「花ちゃん!」って親しみを込めて呼んでもらってるんですけど(笑)。
三木:それも素晴らしいことだと思います。“信仰”と聞くと“怖い”って思いがちですけど、じつは“好き”ということなんですよ。私の場合は日蓮宗が好きで、日蓮上人が好きなので。
関取:そう考えると、もっと身近な感じがしますね。『三木大雲の怪奇妙法伝』のなかでお地蔵さんの話が出てくるじゃないですか。お地蔵さんは深い地から来ていて、土地の大切さを教えくれたり、地獄に落ちそうな人を助けてくれている。お地蔵さんや土地を大切にすることが環境を大切にすることにつながるというお話もすごく腑に落ちました。そのように仏教やその他の宗教も本来、人に優しくすることだったり、健康に暮らすためのものだったと思うんですけど、どうして幸せの定義を押し付けるようなイメージがついてしまったんでしょう?
三木:たぶん勧誘するようになってからでしょうね。無理に引き込むような人が増えて、嫌がられるようになって。私も、この格好だけで引かれますから(笑)。
関取:不思議ですよね。それと、「このままでは神様がいなくなる」という話もありましたよね。
三木:“善神捨国”(ぜんしんしゃこく)ですね。仏さまと違って、神様はすべてを許してくださるわけではないんです。我々に対して、「助ける価値がないな」と思えば去ってしまう。もうすぐそうなるんじゃないかと心配しています。
関取:いや、それは怖いですね……。
三木:さきほどSNSの話がありましたが、今のようにお互いが悪口を言い合っていると、神様も呆れていなくなるんじゃないかなと。私もいろいろと言われてますからね。電話をかけてきて、「お前の話はでたらめだ」と言われることもあります。「お経にそう書いてあるんですよ」とお答えすると、「それは仏陀がまちがっている」と返されたり。そうやって電話をかけてくるのは孤独な方が多いので、こちらが懇切丁寧にお話すれば、だんだんと打ち解けてくるんですけどね。
関取:考え方や価値観が違っているのは当たり前で、それぞれの幸せを認め合えれば、起こらないはずの争いなんですけどね。特にネット上のコミュニケーションは、どんどん良くない方向に進んでる気がします。
三木:そうやって「今の状況はイヤだな」と思う人が増えてきているのはいいことですよね。ちょっと前までは悪口を言ったり、罵倒するのが当たり前という風潮でしたが、少しずつ「そんなのはやめましょう」という声も大きくなってきた。お経のなかに“地涌の菩薩”(じゆのぼさつ)という記述があって、菩薩のように徳の高い人たちが地面から次々と出てくるということなんです。それが何を示唆しているかは私もわからないのですが、もしかすると、今「もっと社会を良くしていこう」と考えている人がそうなのかもしれないですね。