ギレルモ・デル・トロからの真摯な警鐘 『ナイトメア・アリー』が現代に映画化された意義

 このセリフは映画の序盤で発せられる、ある印象的なセリフとも呼応している。カーニバルに雇われたスタンは、逃げ出したギーク(獣人という設定で、ニワトリの頭部を食いちぎったりする見世物芸人)を捕まえてほしいと座長に頼まれ、真夜中の見世物小屋をさまよう。まるで束の間、炎が消えた地獄のような場所で、物陰に身を縮めて震える男を見つけるスタン。一瞬、それは彼の分身のようにも見える。そこで繰り返し聞こえるのが「I'm not like this.(こんなの俺じゃない)」というギークの呟きだ。

 ノワールを見慣れた観客は、きっとこの言葉が映画の結末近くでリフレインされるのでは……と予感するが、そんな映画ファンの予断を、デル・トロは華麗に裏切ってみせる。そして、生きながら奈落の底に堕ちた者の壮絶な姿を、より鮮烈に観客の目と耳に焼きつけるのだ。

 ブラッドリー・クーパーは絶妙な間も含め、まさにこのセリフを言うために生まれてきたかのような渾身の演技を見せる。監督も主演俳優も、この瞬間のために懸けてきたのだと思わせる見事なラストシーンだ。

 なぜ、ギレルモ・デル・トロは『ナイトメア・アリー』を映画化したのか。いま、この物語で世に問うたものは何か。

 それは現代が、人生で何を成し遂げたかという結果より、どう生きるかということを重視する時代になったからではないだろうか。

 スタンは「止め時」というものを知らない。ただ上へ上へと登り詰めることを習性とする、珍しい生き物のようにも見える。芸人たちが安住の地とするカーニバルも、多くを教わる仲間たちも、彼にとっては踏み台でしかない。ステップアップのためなら近しい者も切り捨てる非情さの持ち主であることは、繰り返されるフラッシュバックで段階的に語られる。

 しかも、スタンが天職として授かる「ショーマン」は、人を鮮やかに騙すことがすなわち成功であり、できるだけ大勢の人心を操ることが快感に繋がる職業だ(もちろん同業の人すべてが彼と同じ性格や運命の持ち主だというわけではない、念のため)。主人公の歪んだ上昇志向をさらに増長させていく状況設定が見事だが、これを政治の世界に置き換えても違和感はない気がする。

 そんな“怪物的”な野心を育んでいくスタンは、しかし同時に平凡な人間でしかない。魅力的な精神科医のリリスには、頑なに閉じていたはずの心の扉を開いてしまうし、心の弱さから周囲に嘘とごまかしを重ねる。そして、莫大な報酬と成功への野心に駆られ、エキセントリックな大富豪(リチャード・ジェンキンス)の突飛な依頼を引き受け、己の能力では賄いきれないトリックに挑戦する。その結果は……。

 非人間性と人間性を同時にさらけ出しながら堕ちていくスタンの人物像は、わが国が誇るノワールドラマの最高峰『東海道四谷怪談』(1959年)の主人公、民谷伊右衛門にも通じるものがある。彼らの物語を「己の身の程を知れ」という小市民的教訓話として受けとることも可能だが、それだけでは収まりそうもない。

 どんなに大きな野望を抱こうと、人間は人間でしかない。カーニバルの見世物芸人であっても、立身出世を夢みる浪人であっても、あるいは国家元首まで上り詰める大人物であっても、それは変わらない。溢れすぎた野心と欲望は、やがて器もろとも破裂する。デル・トロが憧れる「聖なる怪物」には、決してなれない。

 己の権力欲や支配欲を満たすために狂気の愚行に走る独裁者の姿を、我々はいままさにリアルタイムで見ている。その先に待ち受けるのが破滅であることも、すでに歴史が教えてくれている(そこに行き着くまで、膨大な他者を巻き込まずにおかないところが最大の悲劇である)。繰り返すが、人間は人間でしかないからだ。

 歴史を学んでも忘れてしまうのであれば、物語を通して繰り返し思い出してもらうほかない……そんなフィクション作家としての矜持と使命感が、デル・トロにこの映画を作らせたのではないだろうか。人間よりもモンスターの純粋さに心服する、デル・トロからの真摯な警鐘である。

■公開情報
『ナイトメア・アリー』
公開中
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、ルーニー・マーラ、ロン・パールマン、メアリー・スティーンバージェン、デヴィッド・ストラザーンほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
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