吸血鬼映画としての側面も 『モービウス』が垣間見せた今後のシリーズのさらなる可能性

吸血鬼映画としての『モービウス』

 映画会社が異なるという“大人の事情”を乗り越え、双方の作品のキャラクターたちがともに活躍するという、夢のコラボレーションを果たしたマーベル・スタジオの『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。その興奮がまだ冷めやらぬなか、今度はソニー側から『スパイダーマン』の新たな“シェア・ユニバース”作品が公開された。ヴァンパイア(吸血鬼)の姿と能力を持つ人物が主役の『モービウス』である。

 モービウスは、原作コミックではスパイダーマンと戦うヴィラン(悪役)として初登場し、その後もマーベル・コミックで何度も活躍している人気キャラクターだ。医師である彼は、自身の身体を蝕む血液の病気を治療するため、吸血コウモリのDNAを遺伝子に組み込んだことで、常人の域を超えるスーパーパワーと、人間の血液を求める性質を備えてしまう。

モービウス

 そんなモービウスを演じるのが、ジャレッド・レト。2016年版の『スーサイド・スクワッド』でジョーカーを演じ、『ハウス・オブ・グッチ』(2021年)では特殊メイクで見た目をガラリと変えた役柄を演じるなど、近年はユニークな出演作の多い演技派俳優だ。

 本作では、モービウスの吸血鬼状態への変身は、感情の動きや能力の発揮によって瞬間的に起こり、その間だけ形相が恐ろしくなったり、歯や爪が鋭く伸びるなどの身体的変化が生じる。つまり、同じシーンのなかで目まぐるしく容貌が変わっていくのだ。その表現を可能にするために、ジャレッド・レトはノーメイクでモービウスを演じ、コンピューターのプログラムが彼の顔の位置を追尾しながら、映像上でCGによるメイクが施されているのだという。

モービウス

 モービウスは、自分の身体的な変化に戸惑い、人間の鮮血を求めてしまう葛藤に苦しみながらも、ニューヨークの人々を次々に狙う新たな吸血人間との戦いに身を投じていく。彼は“ダークヒーロー”として、本作では描かれているのだ。それは、スパイダーマンの敵をダークヒーローとして活躍させる『ヴェノム』シリーズの趣向と同じである。

 ソニーでは一連の作品を、「ソニーズ・スパイダーマン・ ユニバース」と位置づけ、今後も“クレイヴン・ザ・ハンター”、“マダム・ウェブ”、“ナイトウォッチ”、“シニスター・シックス”、“ジャックポット”など、『スパイダーマン』に関連するヴィラン、ヒーローが登場する実写映画が、製作、または検討段階にあるという。これは、紛れもなくマーベル・スタジオのMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の成功に触発されたものであり、興業的な成功が続く限り、『スパイダーマン』の新作も含めて、どこまででも企画が続いていくことだろう。

 さらにこのユニバースは、MCUそのものとも部分的にシェアされている。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』に、ソニーが権利を持つ過去の『スパイダーマン』のキャラクターが続々登場したように、MCUからのキャラクターが限定的に現れることも期待できるのだ。ソニー・ピクチャーズと、マーベル・スタジオ擁するディズニーは、もちろんライバル関係にあり、いつでも険悪な状態になる緊張感があるのは確かだが、少なくとも現在は、共存共栄でヒーローブームを盛り上げているといえよう。

モービウス

 注目したいのは、本作『モービウス』が、実写による「ソニーズ・スパイダーマン・ ユニバース」の前2作、『ヴェノム』(2018年)、『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』(2021年)とは、かなりの点でアプローチが異なるということだ。

 『ヴェノム』シリーズで驚かされたのは、とにかく“ヴェノム”という強烈なキャラクターの魅力を前面に押し出すことを優先したという部分だった。キャラクターの方にストーリーを従属させるという、比較的コミックの作劇に多いアプローチを、かなり露骨にとっていたといえる。その軽快さ故に、映画作品としての重厚感がなく、それが逆に観客の支持を集める要因となった部分がある。トム・ハーディ演じる主人公が、異星生物と女性とで、ある種の三角関係を構成するというラブコメディ要素もポップだ。

モービウス

 対して本作は、やはりモービウスを慕う同僚のマルティーヌ(アドリア・アルホナ)、さらにモービウスに愛憎渦巻く感情を持っている親友のマイロ(マット・スミス)との、三角関係のような構図が描かれるという点で、確かに『ヴェノム』の設定と重なる部分がある。そして、本作ではとくにマット・スミスが強烈なキャラクターを演じていることも見逃せない。

 しかし、ストーリー展開や演出の方はオーソドックスで、モービウスとマイロとの関係を、少年時代の出会いから丁寧に描写して、後のストーリーに編み込んでいくなど、脚本のつくりがより堅牢であり、文学的ともいえる語り口になっているといえるのではないだろうか。それは同時に、現在の映画として鈍重に見えてしまう場合もあるかもしれない。

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