“群像劇”が少年少女のものとなった80年代 リヴァー・フェニックスから繋がる“縁”

“群像劇”が少年少女のものとなった80年代

 <群像劇>とは、“ある一群の登場人物について、それぞれの姿を描く劇”のことを指す。物語を転がしてゆく主要な登場人物が多いため、<群像劇>では様々なタイプの人物を描けるという側面もある。例えば、ドイツ軍の捕虜収容所から脱走する将校たちの姿を多角的に描いた『大脱走』(1963年)や、地方都市に住む若者たちの視点で1962年夏の一夜を描いた『アメリカン・グラフィティ』(1973年)は、映画史においても<群像劇>を代表する作品だ。その源流は、第5回アカデミー賞で作品賞に輝いた『グランド・ホテル』(1932年)に由来する。一つの場所を舞台に、特定の主人公をおかず、複数の登場人物の物語を並行して描くという手法。作品のタイトルから転じて、<グランド・ホテル形式>と呼ばれる手法が生み出された。

 1980年代に入るまで、<群像劇>は大人のものだった。それは、興行の対象となる観客だけでなく、劇中に登場する人物の年齢においてもである。勿論、『わんぱく戦争』(1961年)や『わんぱく旋風』(1962年)、『ダウンタウン物語』(1976年)や『ボーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』(1976年)、前述の『アメリカン・グラフィティ』など、いくつかの例外はある。それまでの時代の作品と異なるのは、少年・少女たちが主要な登場人物となる<群像劇>が大量生産された結果、若き映画スターたちが生まれたという点にある。その代表格となるのが『ブレックファスト・クラブ』(1985年)をはじめとする、ジョン・ヒューズの監督・脚本作品群へ出演した俳優たち。彼らは、エミリオ・エステベスを中心に<ブラット・パック>と称され、80年代のハリウッドで寵児となった。

 <ブラット・パック>と呼ばれた若手俳優たちは、各々が別々の作品で共演することによって、仲間意識を高めたという経緯もあった。例えば、『ブレックファスト・クラブ』に出演したエミリオ・エステベス、ジャド・ネルソン、アリー・シーディーの3人は、『セント・エルモス・ファイアー』(1986年)でも共演。その『セント・エルモス・ファイアー』で共演したロブ・ロウとデミ・ムーアは、翌年に『きのうの夜は…』(1986年)でも共演するなど、共演者同士の縁を数珠つなぎのように繋いでいた。当時の観客にとっても、どこか斯様な相関関係を求めている感があったのだ。ただし、映画の中で高校生や大学生を演じた彼らが、実際には20代~30代だったという実情もあった。その点で『スタンド・バイ・ミー』(1986年)には、<群像劇>における主要登場人物の年齢を、より引き下げたという功績がある。

『スタンド・バイ・ミー』Everett Collection/アフロ

 『スタンド・バイ・ミー』は、行方不明となっている少年の死体を誰よりも先に見つけることで、有名になろうとする4人の少年たちを描いた作品。主人公のゴーディ(ウィル・ウィートン)は内気、眼鏡をかけたテディ(コリー・フェルドマン)は粗野、太っちょのバーン(ジェリー・オコンネル)は臆病、そしてクリス(リヴァー・フェニックス)は聡明と、様々なタイプのキャラクターを配していることを窺わせる。また、ゴーディは兄を亡くしたばかり、テディは父親から虐待を受け、バーンの兄は不良、クリスの父親はアルコール依存症と、其々が家庭内で異なる問題を抱えているという設定も施されている。個性の異なる人物を配することで、観客は登場人物の中の誰かに感情移入できるというわけなのだ。僕にとって、当時の彼らは同年代。中でも、クリス役を演じたリヴァー・フェニックスは同い年だった。少年時代に憧れた映画スターは年上であることが常であったが、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちは、僕にとって初めて“等身大”だと思える対象だったのだ。

 『スタンド・バイ・ミー』が公開された当時は、『クジョー』(1983年)や『デッドゾーン』(1983年)、『クリスティーン』(1983年)や『炎の少女チャーリー』(1984年)など、原作者であるスティーヴン・キングの小説が粗製乱造気味に映画化された時代。『地獄のデビル・トラック』(1986年)では、スティーヴン・キング自身が監督を兼任するなど、キング作品の人気は頂点を極め、ノリに乗った時期だったのだ(ちなみに、この映画の主演は前述のエミリオ・エステベスだったという縁もある)。しかし『スタンド・バイ・ミー』のプロモーションでは、キングの名前を前面に押し出すことが極力抑えられ、少年たちによる「ひと夏の冒険譚」だという印象を与えていた。北米ではサマーシーズン真っ只中の1986年8月に公開。“ジュブナイル”として、プロモーション展開させていたことを窺わせる。

 そもそも『スタンド・バイ・ミー』は、『恐怖の四季 秋冬編』(新潮社刊)に収録された「The Body」=「死体」が原作。ベストセラー作家になった主人公が、12歳の出来事を回想するという形式の中編小説だった。つまり、大人の視点で子供時代を振り返るという構造を持っていたのだ。映画化された折にも、作家となった大人のゴーディ(リチャード・ドレイファス)が、少年時代を思い出すという姿を物語の前後に配置。<現在>の視点が<過去>を挟むことによって、ブックエンドの構成を導いていた。だが、小説と比べて映画版の方は、少年たちの視点による「ひと夏の冒険」や「ひと夏の思い出」という要素が、より強くなっている。劇場公開から36年の歳月が経過したため、現代の感覚からだと判りづらいことだが、『スタンド・バイ・ミー』は公開当時も、観客にとって「昔の話だった」という点が重要なのだ。当然のことながら、主題歌となったベン・E・キングの名曲「スタンド・バイ・ミー」も、公開当時は既に“懐メロ”だった。つまり、今も昔も変わらず、“ノスタルジー”を感じさせる作品であり続けている由縁なのだ。

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