『ナイル殺人事件』ポアロの若い時期の描写の意味とは? 原作とは異なる改変部分を“推理”

 本作が興行的な成功を収めている状況を見る限り、本作のようなクラシカルな趣向の映画が、多くの観客に求められていたのは、確かなことだろう。しかし、全てがクラシカルである必要はないのではないか。世界で公開する娯楽大作として、そして現代の映画として、いま白人ばかりの登場人物で構成され、そこで完結してしまうような物語はどうなのか、という疑問が、現代だからこそ、様々なところから生まれてくるはずである。

 それでなくとも、近年のイギリスやアメリカの政策や、市民の一部で、移民を排斥したり白人至上主義を掲げる動きがあったのは周知の通りだ。そういった状況下で、古い原作とはいえ、イギリスやアメリカの白人ばかりが活躍する内容の映画を撮ること自体が、ある種のメッセージになり得る危険性があると、製作側が危惧したとしても不自然なことではない。もちろん、世界の様々な人種の観客に受け入れやすいものにするという、マーケティング上の理由も存在するだろう。

 じつは1978年版にも、インドの俳優が出演していたのをご存知だろうか。彼、サイード・ジャフリーは、クルーズ船の召使いという端役で、しかも“ノンクレジット”という扱いだった。インドで名の知られた俳優を、そのようなリスペクトに欠けるかたちで出演させていたことへの意識が、この度、主要登場人物としてアリ・ファザルをキャスティングしたことに繋がっているのではないだろうか。

 改変は他にもある。ポアロが第一次大戦で従軍する若い時期を描いた、オリジナルエピソードが追加されているのだ。これが、いったい何のために用意されたものなのかという点についても考えてみたい。

 前作同様、本シリーズのポアロというキャラクターの興味深い点は、感情の起伏豊かな人物として彼を描いているところだ。凶悪な事件が起こる前は、ポアロは魅力を感じた女性に対して、しどろもどろになるような、ほほえましさを本作で見せている。しかし、ひとたび事件が起きると、急にシャキッとして、人が変わったように容疑者たちを精神的に追いつめ始めるのである。

 それは“厳しい態度”という表現で済まされるようなものでなく、容疑者たちの尊厳を傷つけるところまでエスカレートしていく。同性愛者であることを隠している者の秘密すら、本人に突きつけてしまうのだ。殺人の真相を暴くためとはいえ、そのやり方には、多くの観客が疑問を感じざるを得ないだろう。

 そこで思い出されるのが、本作のオリジナルストーリーである。ポアロは“灰色の脳細胞”を活かし、仲間たちとともに決死の作戦を生き延びる。しかし、その戦闘後に注意や洞察を怠ったことから、仲間の命が奪われ、自身の身体にも深い傷を負うことになる。そして、戦火はポアロ最愛の人にまで及ぶ……。

 このように、ポアロは戦争で多くのものを失ったことで、殺人を極度に憎み、事件を解決するためには、少しも気を緩めず果断な態度をとる人物になったという解釈なのだ。それは、必ずしも良いものとしては描かれていない。むしろ彼を絶えず苦しめ、他人までをも傷つけてしまう、一種の呪いのようなものとして表現されている。そして、ポアロのトレードマークである立派なヒゲは、彼の本当の姿や、人間らしさまでをも覆い隠す“仮面”だったのである。

 戦争がもたらす心の傷を、ポアロの人間性、推理劇にも投影するという、オリジナル設定、ストーリーを、偉大なアガサ・クリスティーの原作に加えることは、脚本家のマイケル・グリーン、ケネス・ブラナー監督ともに、大きなチャレンジであり、プレッシャーだったのではないか。しかし、原作をそのまま再現するだけでは、映画化の意義は薄くなってしまう。

 探偵ものの映像作品シリーズは、多くの場合、主人公であるはずの探偵がニュートラルな立ち位置で事件に臨み、人間くさい姿を見せるのは、犯人や容疑者たち、ゲスト出演者である。しかし、冷静であるべきはずの探偵を、戦争の傷痕という要素を通して、欠点がありながら、それでもより良く生きようともがく人間くさい存在として表現するという試みは、前作に続き本作でより徹底されることとなった。本シリーズにおける、少々危なっかしいアプローチ、そして人情に弱いポアロ像は、非常にスリリングで見応えがあるのではないだろうか。このシリーズは、いったいどこへ辿り着くのだろうか。第3作を楽しみに待ちたい。

■公開情報
『ナイル殺人事件』
全国公開中
出演:ケネス・ブラナー、ガル・ガドット、アーミー・ハマーほか
監督:ケネス・ブラナー
脚本:マイケル・グリーン
製作:リドリー・スコット、マーク・ゴードン、サイモン・キンバーグ、ケネス・ブラナー、ジュディ・ホフランド
製作総指揮: マシュー・ジェンキンス、ジェームズ・プリチャード
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2022 20th Century Studios. All rights reserved
公式サイト:Movies.co.jp/Nile-movie

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