『ゴーストバスターズ/アフターライフ』と2016年のリブート版を比較考察
1984年に公開されるや世界中で大ヒット、日本でも定番のハリウッド娯楽作として、長きにわたって愛されてきた『ゴーストバスターズ』。その続編『ゴーストバスターズ2』(1989年)の次作として、30年以上ぶりに作られた新たな続編が、本作『ゴーストバスターズ/アフターライフ』だ。
「あれ? こないだも『ゴーストバスターズ』の新作が公開されてなかったっけ?」と、思う観客も少なくないだろう。じつは、その『ゴーストバスターズ』(2016年)と、今回の『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は、別のアプローチによる『ゴーストバスターズ』なのだ。ここでは、そんな2作の違いを考えながら、今回の『ゴーストバスターズ/アフターライフ』の出来が、果たしてどうだったのかを考えてみたい。
オリジナル版第1作で描かれたのは、ニューヨークで“ゴースト退治”の新事業を立ち上げたチームの物語だ。ビル・マーレイやダン・エイクロイドなどコメディアンを配役することでコメディーの要素が強くなり、ドタバタアクションを楽しく見せる娯楽性の高い作品として、多くの観客の記憶に残った。『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は、オリジナル版の設定をそのまま受け継ぎ、バスターズの一員スペングラー博士(ハロルド・ライミス)の孫たちが活躍する。
ゴースト退治のメカや装備を完成させ、「バスターズの頭脳」として活躍していたスペングラーだが、その孫娘であり本作の主人公であるフィービー(マッケナ・グレイス)もまた、科学の才能を持っている。彼女は、スペングラーが農家のなかに作った研究室の装備を持ち出し、年上の女子に恋している兄のトレヴァー(フィン・ヴォルフハルト)、動画配信が生きがいの友人ポッドキャスト(ローガン・キム)らとともに、またしても世界を危機に陥らせる強大なゴーストとのバトルに挑む。
本作の特徴は、オリジナル版との設定上のつながりが非常に強いという部分だ。シリーズの過去作を愛する観客のため、要素がたくさん散りばめられたノスタルジックな雰囲気に包まれている。その意味では、『SUPER 8/スーパーエイト』(2011年)や、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』シリーズ、Netflixドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のような文脈で楽しめる内容になっている。
そのような内容になるのも無理はない。本作の監督であり、脚本も書いたジェイソン・ライトマンは、オリジナル版の監督アイヴァン・ライトマンの息子であり、子ども時代に『ゴーストバスターズ2』に出演した経験もあるのだ。つまり、監督にとって『ゴーストバスターズ』シリーズとは、ノスタルジーの対象そのものといえるのである。また、本作が家族の物語となったのにも、彼にとって必然性があったはずである。
とはいえ、ジェイソン・ライトマン監督は、ポップで娯楽要素の多い作品を撮ってきた父親とは作風が異なり、シニカルなユーモア感覚を持ちながらも、社会性の強い小規模な人間ドラマを題材にしたきた監督である。本作の企画が存在しなかった時期にインタビューを受けた際には、「『ゴーストバスターズ』の続編は撮らないのか」と質問され、「僕が撮ったら、ゴーストについての会話をするだけの内容になるよ」と、冗談を言っていたくらいだ。
2016年版は、これまでのシリーズのようにニューヨークを舞台にした設定で、しかし主要キャストをそのまま女性に置き換えて、物語を描き直す「リブート」作だった。そのため、アメリカ各地の大都市で撮影を行い、約1.4億ドルという大規模予算を投じた大作映画となったのだ。それに比べて本作は、オクラホマ州の田舎という設定で、牛の産地として有名なカナダのアルバータ州で撮影をしている。VFXを駆使したアクションシーンはあるものの、総じてスケールは小さく、本作は2016年版のほぼ半分の製作費だと推定されている。
キャスト陣を女性にチェンジしたという大きな変化があったとはいえ、2016年版はギャグやスペクタクルシーン満載で、オリジナル版同様にコメディー出身の俳優を配し、彼女たちとともにコメディー映画に変革をもたらしてきたポール・フェイグ監督が作品を手がけていた。比べて本作は、ユーモアや直球の娯楽表現よりも、叙情や人間の繊細な心の変化が描かれていると感じられる。
あの有名なテーマ曲も、いつ本編で聴けるのかと待っていたが、結局最後のクレジットまで登場することがなかった。ジェイソン・ライトマン監督らしく、様々な趣向が上品に落ち着き、現代的でドライなテイストに収まっている。もしオリジナル作品とつながる物語上の設定が登場しなければ、シリーズ作品との共通点は、ほとんどないといえるのではないか。そういった意味では、むしろ本作の方がオリジナル版と比べると異質な内容になっているといえよう。