『夕方のおともだち』にみるグレーな世界で生きる人たち 姫乃たまからミホ女王様に宛てて

 山本直樹さんほど扇情的な絵を描く漫画家はいないと思っています。最近では性描写の多さよりも、むしろ押し付けがましくないところがポイントじゃないかと思うようになりました。いま世界には性的なコンテンツが溢れかえっています。それに私たちの性癖は多様化し過ぎていて、友人知人と同じものを見てマスターベーションをしていた、なんて話はなかなか聞きません。でも「山本直樹の漫画でオナニーする」と話す女性には、実に頻繁に会うのです。

 上記のような文章を、『ユリイカ2018年9月臨時増刊号 特集=山本直樹』に寄稿したことがあります。それから私の考えは特に変わってません。あの抑揚のない線がとにかく魅力的で、同時に一貫してどこか冷めたような気怠いような、シュールな雰囲気が漂っているところにも、読み手の気持ちを入り込ませる余裕が準備されているように思えます。

 絵柄の魅力を大きく感じている分、『夕方のおともだち』の映画化には不安と期待が両方ありました。映像化するのは数々のピンク映画を手がけてきた廣木隆一監督。映画全体はカット割りが少なく、引きの映像も多くて、登場人物と一緒に出来事を体験しているというより、彼らを観察しているような「抑揚のなさ」を感じました。また、笑う場面ではないのに、少し突っ込みたくなってしまうような「シュール」なシーンも多々あり、原作の魅力を尊重したい気持ちが垣間見えるようでした。

 主人公のヨシダヨシオは、町に一軒しかないSMクラブで“伝説の女王様”ユキ子と出会いSMプレイに目覚め、現在は女王様ミホのもとに通い詰めています。ヨシダとミホは次第に店外でも交流するようになり、友達以上恋人未満のような関係に発展していきますが、ヨシダは突然目の前から姿を消したままのユキ子が忘れられず……というストーリー。

 印象的だったのは、ヨシダがSMプレイの一環でギャグボールを付けて海に漂っているシーンです。普段の彼の生活は同僚が彼の性的趣向を揶揄してくる会社と、介護を必要とする母親がいる自宅、選挙戦が加熱して日夜街宣カーが走り回る小さな町で完結しています。会社ではもうすぐベランダでの喫煙も禁止され、町の浄化のために通っているSM店もなくなりそうだと噂になっています。おまけに会社のOLまで彼の性的趣向に踏み込んできては、「愛のない行為は良くないと思います」と注意してくるような息苦しい町です。

 しかしヨシダは一貫して冷めた態度で、息苦しさや、誰にも理解されていない感覚にも抵抗しようとはしません。ただ日常が淡々と、しかしどこかモヤがかかったように続いていくだけです。でもやっぱりそんな日常で、彼は女王様から痛めつけられている時だけ、広い世界を漂うことができるのです。

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