マギー・ギレンホールによる“母性信仰”に対する挑発 『ロスト・ドーター』の哲学的な問い

『ロスト・ドーター』の哲学的な問い

 これまで多くの映画やドラマでは、子どものために親が献身的な態度をとったり、犠牲となる姿を映し出し、それが“素晴らしいもの”だとして描かれてきた。アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』(2018年)もまた、女性の母性的な感情が感動的に描かれていた。だが本作は一方の価値観に寄らず、そこで“失われてしまうもの”の方にもフォーカスすることで、よりリアリティのある親の心理の一つを描き出しているのである。だからこそ、そこで生じる後ろめたさをも含め、本作のレダの気持ちに強く共感する観客も少なくないだろう。

 奇妙なのは、レダが母娘から、衝動的に人形を盗み出してしまうという展開である。大事にしていた人形を失った幼い女の子は、悲しみから長い間泣き続け、彼女の家族たちはビーチを探し続けることになるのである。それを知りながら、レダは人形を隠し持つことになる。彼女がそのような異常な行動をとるのは、どういうわけなのだろうか。

ロスト・ドーター
COURTESY OF NETFLIX

 考えられるのは、やはり過去の記憶からもたらされる、アンビヴァレンス(相反する感情)がもたらす影響だ。レダは自分の激情や責任の放棄から、娘を失ったと感じていて、それが心の傷として現在の彼女を苦しめ続けている。だから本当は、人形ではなく娘をさらって手に入れることで、その感情を埋め合わせたいと、レダは無意識に思ってしまったのではないだろうか。しかし、そんなあまりにも常軌を逸した行為ができるわけがない。だからその代償的な行動として、彼女は人形を盗んでしまったのではないか。

 本作は、殺人や誘拐など、観客にアピールできるような大きな事件が起きるわけではない。だからといって、事件の規模の大小が、描かれる題材の深刻さを決めるというわけでもない。ここで盗み出された人形は、一人の女性の心理をめぐるシリアスなサスペンスを生み出し、さらにそれは、人間の生き方をめぐる哲学的な問いの象徴となっているのである。

ロスト・ドーター
COURTESY OF NETFLIX

 それにしても大胆不敵なのは、この原作を選んだことをも含めた、マギー・ギレンホール監督の姿勢である。フレームをはみ出すほど至近距離でオリヴィア・コールマンの演技をとらえながら、彼女が演じる一人の女性の自由な生き方を、倫理性を明らかに逸脱するところまで描いている。これは、“母性信仰”に対する、一種の挑発ではないのか。

 育児の問題を含め、多くの女性が生活のなかで経験する苦しみは、いろんな角度から描かれてきているが、劇中のレダの痛ましい決断は、ある条件や場合によっては、あえて非人間的にならなければ、女性が社会で成功することが難しいという、過激なまでに思い切った告発になっているように感じられるのである。

マギー・ギレンホール
マギー・ギレンホール監督 YANNIS DRAKOULIDIS/NETFLIX (c)2021

 近年とみに女性監督が活躍しているという事実は、これまで女性が大きいポストを任されてこなかったという状況の裏返しであるといえる。マギー・ギレンホール監督をはじめ、現在の多くの女性監督たちは、そんないままでの鬱憤や、歴史的に排除されてきた女性たちの思いまでをも晴らすかのごとく、濃い内容で社会の問題を描いているように見える。それらの作品の熱量が観客を圧倒し、高く評価されているのは、ある意味では当然のことなのかもしれない。

■配信情報
『ロスト・ドーター』
Netflixにて配信中
監督・脚本・製作:マギー・ギレンホール
出演:オリヴィア・コールマン、ジェシー・バックリー、ダコタ・ジョンソン、エド・ハリス、ピーター・サースガード、ダグマーラ・ドミンチック、ポール・メスカル、オリヴァー・ジャクソン=コーエン

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