『恋せぬふたり』で考えさせられた“恋”の概念 岸井ゆきの×高橋一生が世界観に引き込む

 だが、その「恋」と名付けられた感情の振れ幅も、人それぞれであるはず。瞬間的な盛り上がりを指している人もいれば、じわじわと上昇していくことをそう呼びたくなる人もいるに違いない。にも関わらず、名前がついた瞬間にどこか「そういうもの」という代表的なイメージが形成され、存在感を持つようになるから言葉は面白い。

 「ちゃんと名前で呼んであげたくなる」とは、羽(高橋一生)の言葉だ。「人類」ではなく名前で呼んでもらいたいから、「キャベツ」ではなく「YR春風」と呼ぶ。それは彼自身が「羽」と書いて“さとる”と読む珍しい名前を持っているからなのか、それともこの「恋愛」という言葉が大きな存在感を持った社会において「アロマンティック」「アセクシュアル」という名前を付けなければ自分の指向を整理することができなかった苦悩ゆえなのか。

 そして、“さきこ”ではなく“さくこ”と読む咲子(岸井)もまた羽の綴るブログを通じて、長年抱えてきたモヤモヤに名前がつくことで、自分自身の輪郭がはっきりしたような感覚を得る。恋愛をしない自分は他の人と比べて何か欠けているのではないか。そんなふうに悩んでいた咲子にとって、他者に恋愛感情を抱かない「アロマンティック」、他者に性的に惹かれない「アセクシュアル」という名前があることを知ることは、「そういう人もいる」と肯定されたような気持ちになったのではないだろうか。

 とはいえ先述したように、名前がついたとしても、それにカテゴライズされる人がすべて同じというわけではないのが難しいところだ。同じように恋愛を前提としたコミュニケーションに馴染めない咲子と羽だが、人と積極的に仲良くなりたいかむしろ避けていきたいかで大きく分かれる。かと思えば、誰かと一緒にいたいという寂しさを持つ部分では共通している。「ならば!」と共に生きていく提案をした咲子だが、羽から「なめてます?」と言われてしまうくらいすぐには噛み合わない。

 「恋愛感情・性的な魅力を感じる/感じない」という大きな分類で見れば、「恋愛的・性的マジョリティ/マイノリティ」で区切られるかもしれないが、その分類された中でも1人ひとり違っているからだ。それはグラデーションのように多種多様で。だからこそ人間は奥深い。同じ「人類」であっても、同じ「性」だと分類される身体的特徴や、共感できる「指向」があったとしても、まったく同じ人間はいない。

 それでもどこか「普通」とか「当たり前」という感覚で私たちはつい「同じ」を前提としてコミュニケーションをとりがちだ。でも、「同じ」を期待するから「違う」が寂しくなる。でも、端から「違う」を前提とすれば、小さな「同じ」がもっと喜びに変わるかもしれない。

 同じ「違う」を持つふたりは、ここからすり合わせを重ねて協力して生きていくことになりそうだ。しかし、咲子と羽はたまたま「アロマンティック」「アセクシュアル」で繋がっただけで、他のケースにも当てはまるような気がする。「友達」になる、「家族」になる、同じ秘密を抱える「同志」になる……誰かと一緒にいる理由は「恋愛」と呼ばれる感情の高ぶりだけだなんて決まっていないはずなのに、どこかでそう思い込んでいた節があったような気がする。

 あなたの人生を豊かにする理由は、まだ名前がついていないものかもしれない。あるいは、自分の中で「こういうもの」だと思い込んで凝り固まっていたものが、違う角度から別の言葉で解釈することで「これだ」と改めてしっくりくるものになるかもしれない。ドラマを見進めるうちに、それぞれの幸せに名前が見つかっていく。そんな時間になることを期待している。

参考
1.https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/

■放送情報
よるドラ『恋せぬふたり』(全8回)
NHK総合にて、毎週月曜22:45〜放送
出演:岸井ゆきの、高橋一生、濱正悟、小島藤子、菊池亜希子、北香那、アベラヒデノブ、西田尚美、小市慢太郎
作:吉田恵里香
音楽:阿部海太郎
主題歌:CHAI「まるごと」
アロマンティック・アセクシュアル考証:中村健、三宅大二郎、今徳はる香
制作統括:尾崎裕和
プロデューサー:大橋守、上田明子
演出:野口雄大、押田友太、土井祥平
写真提供=NHK

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