猪塚健太、15年間の役者人生の節目を迎えて 「ようやく“こっからでしょ”と思えるように」
俳優・猪塚健太の勢いが止まらない。2021年は、4月期『高嶺のハナさん』(BSテレ東)にはじまり、『TOKYO MER~走る緊急救命室~』(TBS系)、『警視庁ひきこもり係』(テレビ朝日系)、10月期は『凛子さんはシてみたい』(MBS/TBS)に出演とTVドラマに出演し続けた1年となった。役者として15年目、35歳を迎えた猪塚健太に、これまでの役者道への思い、自身を突き動かす“エネルギー”について、じっくりと話を聞いた。(編集部)【インタビューの最後にはサイン入りチェキプレゼントあり】
支えになった岸谷五朗からの言葉
――もともと役者ではなくアナウンサーになりたかったそうですね。
猪塚健太(以下、猪塚):中学生の頃からアナウンサーになりたいと思っていて、「どうせやるなら」と東京の大学を受験しました。でも、大学時代に服飾の学校に通っているアルバイト先の先輩に、「ファッションショーでモデルをしてほしい」とお願いされて。モデルとして舞台に立った時に“みんなから見られること”を初めて体験して、表現することの面白さを感じたんです。
――これは気持ちいいぞ! と。
猪塚:ですね(笑)。この時に、こういう表現もあるんだって知って。それが、俳優という仕事を始めるきっかけになりました。とはいえ、当時まだ学生だったので、うまくいけばいいなくらいの気持ちでした。
――そこから、本格的にお芝居一本でやっていこうと思うようになったきっかけが?
猪塚:周りの友達の就職が決まっていく中、僕だけ就活もせずお芝居をやっているみたいな状況で。大学を卒業する時に、もう後戻りできないところまで来ていると感じて、きちんと職業として俳優をやっていこうと決断しました。
――当時は若さもありますし、自信に満ちていたのでしょうか?
猪塚:いや、全然そんなことはなくて。大学を卒業して、今の事務所(アミューズ)の「劇団プレステージ」という劇団に入ったんですね。そこは“仕事がないなら自分たちで舞台を作って見てもらおう”っていう集団だったんですよ。とにかく必死に作品を作って、僕たちを、そして自分を、知ってもらい観てもらわなきゃっていう意識が強くて。不安はありつつ、もうやるしかないっていう感じでした。
――そんな中、2011年にミュージカル『テニスの王子様』に出演されます。
猪塚:それまで公演をやってもお客さんがなかなか増えず、最初は学芸大学にある「千本桜ホール」という数十人しか入れない小劇場でやっていたんですけど、その劇場も埋まらなかったんです。一生懸命チケットを手売りして、家族とか友達とかを呼んで、なんとか成立するっていうのを続けていました。でも、『テニスの王子様』の出演をきっかけに劇団員の出演作品のファンの方がついて、ようやく席が埋まるようになるんですね。そこからみんなの意識も変わり始めて、「お客さんに対してもっといいものを作らなきゃ」と。舞台を作ることに対してさらに責任感が芽生えたという意味でも、僕にとってもテニミュは大事な作品だったと思います。個人的にも、アミューズ制作の『ハンサムライブ』に出演させてもらうようになって、事務所の方たちにも幅広く自分の存在を知ってもらうことができた、かなり飛躍した年でしたね。
――『テニスの王子様』が“魅せる”ことの原点になったんですね。では、転機についても聞かせてください。
猪塚:気持ちの面で転機になったのは、2014年の『地球ゴージャスプロデュース公演Vol.13「クザリアーナの翼」』の時です。アンサンブルとして出演していたのですが、舞台上で芝居をしている時間よりも袖で皆さんの芝居を見ている時間のほうが圧倒的に長かったんです。約3時間の舞台を72公演。もちろん、出番だけが全てではないと理解しているのですが、その時は自分が舞台上にいないということがとにかく悔しくて。でも、その想いを経験したことで、舞台に立つことが好きなんだと改めて実感しました。
――挫折せず、より好きになるというのはすごいですね。
猪塚:公演の打ち上げで、岸谷五朗さんが「健太の芝居に対する感覚は、俺から見てても間違いないから、自信持って大丈夫だよ」と言ってくださったんですよ。自分は「全然出られなくて悔しい」と思っていたのに、稽古から千秋楽の幕が下りるまで僕の姿をちゃんと見て、そう言ってくださったことが本当に胸に響いて。次にやった劇団の舞台が、今までに感じたことがないくらい楽しかったんです。悔しかった反動と五朗さんの言葉が、ものすごく大きかったんだと思います。