『大豆田とわ子と三人の元夫』はどのようにして作られたのか? 佐野亜裕美Pが語り尽くす
2021年春クールに放送された『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系、以下『まめ夫』)は不思議な手触りの残る連続ドラマだった。
タイトルのとおり、建設会社しろくまハウジング社長の大豆田とわ子(松たか子)と彼女が三回結婚して三回離婚した三人の元夫たちとの物語なのだが、華やかなロマンティックコメディだと思って楽しんでいると、毎回とんでもない場所に連れて行かれる。
脚本は坂元裕二。プロデューサーは佐野亜裕美。2017年の『カルテット』(TBS系)以来となる二人が制作したドラマは『カルテット』の時と同様に、視聴者を驚かせる予測不能の展開となっていた。
この異色作はどのようにして作られたのか? プロデューサーの佐野亜裕美に話を聞いた。(成馬零一)
『大豆田とわ子と三人の元夫』は“不在”の話?
ーー放送が終わってしばらく経ちましたが、反響はいかがでしたか?
佐野亜裕美(以下、佐野):「わりと好きだけど、このシーンは良くなかった」「あのシーンが気になった」「ここがモヤモヤした」といった、「最後まで観て○○だった」という意見がいくつかあったのですが、こういう感想は私にとっては有りがたかったです。海外ドラマが身近になっていく昨今、視聴者側のリテラシーもどんどん上がって目が肥えてきている。頑張らないと「どんどん置いてかれるなぁ」と切実に思わされました。
ーー『カルテット』の時もそうでしたが『まめ夫』は観た人の感想がバラバラで。リアルサウンドで翌日の朝に掲載されるレビューを毎話書いていたので、ホームページにある「あらすじ」を事前に読んでから本放送を観ていたのですが、想像していた内容と毎回微妙に違うので戸惑いました。SNSの感想もバラバラで、観る人によってこんなに印象が変わる作品も珍しいですよね。
佐野:私、「あらすじ」を書くのが本当に嫌で。煽りっぽく「…?」で終わらせる慣習があるじゃないですか。あれが本当に苦手で。相関図を書くのも苦手なんですよ。関係性を作っていく話なのに「対立」「嫉妬」と書くのが「あれって何なん?」と思っていたので、「(相関図の)線はなしで」とか「「親子」だけあり」とか「感情のベクトルは相関図に描かない」ということが多かった。でもそれだと、テレビ誌さんが番組を紹介する時にすごく書きにくいじゃないですか。「これは本当に厄介だなぁ」と、自分で書きながら思うんですね。
ーー説明が最小限だったから解釈の幅が広いのかもしれませんね。
佐野:「あまり規定されないもの」を作ろうという気持ちはありました。『まめ夫』の宣伝チームの方が最初に書いてくれた文章に「バツ3シングルマザーの女社長」とあったのですが、「バツ3」はタイトルで言っているのでしょうがないし、確かに「シングルマザー」で「女社長」の話なんだけど「でもなぁ……」みたいに思って。「バツ3」「シングルマザー」「女社長」といった言葉が人に想起させるイメージと私たちが作ろうとしている大豆田とわ子の間に乖離があったので、そういう言葉を排除しようとするのですが、そうすると「このドラマがどういう作品なのか」が、伝わりにくくなってしまうんですよ。
ーー簡単に説明することが難しい作品ですよね。
佐野:今回は制作局長から「視聴率も取ってほしいけど、とにかくドラマが話題になればいい」と言われていたので、途中から「伝わりにくくてもいい」と開き直りましたね。今、振り返るともうちょっと考えるべきだったかなぁと、反省するんですけど。
ーーちなみに、どうしてとわ子は社長だったのですか?
佐野:坂元さんは組織の中で働いたことがないので「会社員のトラブルってどんなことなんですか?」と聞かれたんですよ。それで「半分以上は人間関係のことです」と答えたら、「そういうものは書きたくない。でも、社長の孤独や苦労なら書けるかもしれない」と言われて、社長に決まりました。私も「大企業の社長の気持ちは想像できないですけど、50人くらいの規模の会社ならあるかもしれませんね」と言って、いい塩梅を探っていきました。
――社長という社会的立場の高い人の「孤独」を書いて共感させるというのは凄いですね。
佐野:共感ではなくて、理解とか想像させる方向を目指したいんですよね。あと、坂元さんからは「素敵な画にしてほしい」とも言われました。
――今回はきらびやかな世界ですよね。
佐野:最初からスクリューボール・コメディをやりたいという意思が坂元さんにはありました。上流階級ではないですけど、都市で働くお金を持った人たちの話なんですよね。テレビドラマって予算がないので、お金を持っている人の話を作るのは本当に大変なんですけど、今回は無謀にも挑みたかった。
――『まめ夫』では描かれない場面が多いですよね。たとえば、第6話の前半では、元夫三人が女性三人と餃子パーティーをしている裏で、とわ子と門谷(谷中敦)が何を話していたかが描かれていません。二人のシーンは、はじめから無かったのですか?
佐野:坂元さんの頭の中では時系列として作っていたと思うのですが、台詞には起こしていません。第5~6話のストーリーは最初から決まっていて、綿来かごめ(市川実日子)が死ぬということと、死の瞬間は描かないということは決まっていました。元夫たちに気になる女性がいて、前半は平行して物語を進めていく。かごめの死の裏側で彼女たちの話があって、そこではとわ子は消えている。ただ、なぜ「消えている」のかは決まっていなかった。
ーー「消えている」ことが先だったんですね。第6話は凄いですよね。画面の外側で起きている出来事を観ている側が想像してしまう。「嫌な予感」がずっと続く中で田中八作(松田龍平)に誰かから電話がかかってきた後、彼が病院に向かう姿を見せられて、最後にかごめが亡くなっていたと知るという展開に衝撃を受けました。
佐野:100人の視聴者を想定した時に、何人ぐらいがわかる塩梅にしようかということは初稿の段階で話すのですが、第6話に関してはTwitterで「かごめかも」というワードが、一つも出ないようにしたいという狙いがありました。本当に勘の良い人なら思うかも知れないですけど、そんな不吉なことはツイートしたくないという気持ちになるようにしたかった。
ーー想像したくないですよね。
佐野:坂元さんは登場人物をすごく愛していて、人が死ぬ場面を書くのは嫌だと思うんですが、今回、かごめの死を描こうと思ったのは、やっぱりコロナが大きかったんですよね。「家族も最期を看取れず、集中治療室で一人死んでいく。いつ自分がそうなるかもわからないし、身近な人を亡くされた方もたくさんいる。しかもそれは今までよりも突然だし、より平等に訪れる」という話を打ち合わせの時にしたのを覚えています。直接、コロナのことは扱わないけれど、コロナ禍に私たちが直面したことを今回は描こうとしました。だから、かごめの死の瞬間は映らないんですよね。
――第6話を観た後で第1話を振り返ると、「母親が亡くなる話」だったことに気づいて愕然としたんですよね。
佐野:ずっと“不在”の話をやってるんですよね。第6話も三人の元夫はずっと不在のとわ子について話をしている。コロナ禍だから坂元さんは「不在の人がどんどん際立っていく」というドラマをやろうとしたんだと、私は思っています。