『恋です!』が提示する“真のバリアフリー” 令和ラブコメの作り手によるメッセージ

 昭和・平成の昔から、ハンディキャップを持つ人物が主人公の恋愛ドラマは数あれど、この秋放送を開始した『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』(日本テレビ系)は明らかに一線を画している印象がある。第1話で、黒川森生(杉野遥亮)が赤座ユキコ(杉咲花)に向かって発した

「だって、ユキコさんは普通の世界で生きてるじゃないすか」

 という台詞にまず度肝を抜かれた。「とうとう、こういうことをきちんと描けるドラマが登場したのか」という思いで胸が熱くなった。

 このドラマは、光と色を微かに感じる弱視のユキコが主人公であるが、決して「かわいそう」という雰囲気を纏わせない。ユキコと森生の恋を「お涙頂戴」の悲恋として描かない。ユキコが「守られる立場」に甘んじない。ハンディキャップを「ひとつの個性」として描き、色眼鏡を除き去った視点で「普通とは何か」「多様性を重んじるとはどういうことか」を問い続けている。

 視覚障がいを持つ人の日常の部分も、ファンタジーにせず具体的に描いて、「知ってもらう」ことの大切さを守り抜いている。たとえば、一言に「視覚障がい」と言っても多種多様の障がいがあること。点字ブロックの上にコンビニ袋ひとつ落ちていただけで、白杖を持って歩行する人にとっては大きな怪我につながりかねないこと。視覚障がいを持つ人たちと、彼ら彼女らを近くでサポートする人たちが、生活道具の選び方や使い方にいかに創意工夫をこらして日常生活を送っているかということ。社会全体のバリアフリー化はまだまだ足りていないということ。恥ずかしながら筆者は、このドラマを観るまでは、そんなに想像できていなかった。

 同じく杉咲花が主演を務めた朝ドラ『おちょやん』(NHK総合)のレビュー(『おちょやん』少女編が描いたもの 属性から解き放たれてスタートラインに立つ千代の姿)で、筆者は「『普通』とは『あなたらしさ』だ」と書いた。この『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』にも、同様のメッセージを感じる。いわゆる“社会通念”を論拠とする「普通」、それに基づく色眼鏡や偏見、そういうの、もういい加減いいじゃないですか。誰もが自分だけの個性に胸を張って生きていいし、それが尊重される社会が当たり前になってもいいじゃないですか。

 森生がユキコに恋をして、彼女のことをもっと知りたいという思いから、視覚障がいについて学んでいく過程を見ながら、視聴者も共に学んでいくことができる。完全に理解することはできなくても、精一杯ユキコの気持ちを想像しようとする森生の姿を見て、視聴者も想像してみる。R-1チャンピオン芸人・濱田祐太郎が視覚障がいの豆知識を解説するミニコーナーも、このドラマの「説得力」という部分において大きな役割を果たしている。彼もまた、彼自身の「普通」を貫いて事を成した人だ。

 勝気で毒舌なユキコは、先述のとおり、いわゆる“庇護される立場”として描かれていない。なにしろユキコが(わざとではないにしろ)股間キックで森生を打ち負かしたことが2人の恋の始まりだった。しかし、ここに至るまでにユキコがどれだけの辛い思いを乗り越えてきたのかが、随所に挿入される回想で明らかになる。白杖を持つということは「“普通”じゃなくなるということ」。「“普通じゃない”自分を受け入れること」。そう思って生きてきたユキコに、森生はあっけらかんと、当然のように「ユキコさんは普通の世界で生きてるじゃないすか」と言う。「当然のように」。この姿勢こそが、私たちがこれから目指すべき「心のバリアフリー」なのではないだろうか。

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